森木製菓

果たして社長になれるのか!?

太宰治とラオス人を戦わせてみました

サバイディー!
もう少し涼しくなって欲しい森木です。



私はいまラオスにいるのですが、そんなことより皆さんに聞いて欲しい悩みがあります。

それは太宰治の小説が好きなのにあんまり読みたくない」というものです。


太宰治の作品を初めて読んだのは中学生の頃で、そのときに私は彼の物憂げな文章に魅了されました。

以来、生活の範囲に太宰治の本がないと落ち着かない女になってしまったので、ラオスに出張に来ているいまも、ちゃんと『斜陽 人間失格 桜桃 走れメロス 外七篇』も一緒にいます。


f:id:morikicompany:20190616144931p:plain


お気に入りの作品は『人間失格』で、これはもう親に心配されるくらい何回も読みました。


それぐらい好きなんです。

しかし、太宰治の作品を読むと、なぜだかその日はだいたい嫌な夢を見てしまいます。

最近だと「家に犬と猫が大量に入ってくる夢(ラオス狂犬病が流行っているから死も同然)」ラオスのレストランの責任者になって、仕事のストレスを発散するために休憩時間に叫ぼうとしたけど全然声が出なかった夢」など、じわじわと苦しめられ、朝起きてなんとなく疲れる系の夢をいくつか見ました。


そして近頃、私はこのジレンマに苦しめられているというわけです。

ただでさえ娯楽の少ないラオスでの、楽しみな時間を提供してくれる心のオアシス太宰治

しかし読むと翌朝は嫌な気持ちで目覚めてしまう…。


なんとかこの状況を打破する方法はないかと、私は2週間ほど解決策を考えました。

いや、もしかしたら意外と3日くらいだったかもしれない、分からないけどとにかく考えました。

そしてその結果思いついたのが「太宰の陰のオーラとラオス人の陽のオーラを戦わせよう」ということです。



そもそも私が彼の文章を読んだ日に嫌な夢を見てしまうのって、作品の影響を受けて暗い気持ちになっているからなんですよね。

だから要は、その負の感情を無くすことができればいいわけです。

そのためには明るさが必要になってくるのですが、これにラオス人はぴったりだと思いました。


なぜならラオス人たちは本当にみんな幸せそうなんだ。

東京みたいに高いビルもなければ、便利な電車も走っていない素朴な国だけれど、だからこそ集まってビールを飲んだり、大音量で音楽を聴いたり(最初はキレそうだった)、魚釣りに行ったり、スポーツをしたり、とても人間的な素敵な時間を過ごしているんです。



もう太宰治に勝つにはラオス人たちの力を借りるしかありません。

明るいだけでなく、心の闇すら感じさせないその環境にいれば、太宰作品特有の暗いオーラを相殺してくれて、私の見る夢も多少はマシになるはずです。



そこでまずは手始めに、仕事終わりに談笑するラオス人の側で太宰治を読んでみることにしました。



「何やってんの笑」というツッコミが3連続くらいで入り、冷静に考えたらまじで何やってんだと思ってちょっとニヤけてしまいました。

ちなみにこの時は、『斜陽』の"主人公の女性が忘れられない男M・C(マイ・チェホフ)宛に手紙を書く"という、とても心がきゅっとなる箇所を読んでいました。


そしてこの日はいつも通り23時過ぎに就寝。

肝心の夢はというと、まさかの何も見なかったほどに爆睡していました。


まだ早すぎる。もっと色んな所で挑戦する予定だったのに、案外第三者が1人でもいるだけで私は安心して眠ることができてしまったようでした。

企画倒れも良いところです。

でもこの日はお酒を少し飲んでいたし、もしかしたらラオス人ではなくアルコールのおかげだったかもしれないので、もう少し挑戦してみましょう。



ということで、お次の読書会場は「ナイトマーケット」です。

ナイトマーケットはメコン川沿いで毎晩行われている夜市で、ラオスっぽいTシャツやカバン、音質の悪いヘッドホンなどが安い値段で買えます。

観光客や地元民が沢山いるので、前回に比べてだいぶ陽のオーラが強いです。


f:id:morikicompany:20190616144619j:plain


この日は『ダス・ゲマイネ』を読んでいました。

ちなみに袋に入っているのは、「ピン東京」という日本人スーパーで買ったボールドです。

やっぱり日本の洗剤じゃないとニオイとか取り切れない感じがする。



それから近くでやっていたズンバに参加。


f:id:morikicompany:20190616144526j:plain


これは毎晩18時からメコン川沿いでやっていて、参加費はたったの60円という素晴らしい青空エクササイズ教室です。

しかし私たちが着いた頃はもうクールダウンタイムに入っており、料金を回収するおばちゃんが見かねて「また来てね」と言ってその日は参加費を返してくれました。

カッコいいですね。



そしてこの日の夜は23時前に寝たのですが、なんとまた何の夢も見ませんでした。

こんなにあからさまに結果が違うものなんでしょうか。

教科書にも載るほどの文豪の表現を抑制するなんて、ラオス人の明るいパワー強すぎです。



ただ1つ謝らなければいけないことがあって、実はこの日、「ラオカオ」という安く手に入るけど度の強い焼酎、いわばラオスの大五郎のようなお酒をいただいちゃったんですよね。


f:id:morikicompany:20190616144633j:plain


翌日その人に会う予定もあったし、もしかしたら感想とか求められるかもしれないなと思って、本当に少しなんですけど、その日もアルコールを体内に入れてしまいました。

だから今回もまたお酒の効果によるものである可能性が高く、正確な結果であると言えないので、もう1度だけ再実験しましょう。



三度目の正直。今回は「サイクリング会場」で太宰りました。

ハッスルしているラオス人が多く、太宰と戦わせるには最高な環境です。


f:id:morikicompany:20190616144521j:plain

(顔の調子がめちゃくちゃ悪い)


このサイクリングは、EU(ヨーロピアンユニオン)主催の”植林のために20km走ろう!”というコンセプトのもと開催されたものです。

ラオスって探してみると意外とこういうアクティビティがあるんですよ。


それで私がいる首都ビエンチャンは昼間になると余裕で30度を超えるので、この日のスタート時間はまだ涼しい朝の6時でした。

4時起きでおねむ大魔神だったけど、開始前の1番人々が盛り上がっている中で『人間失格』を読みます。



20kmは意外と80分くらいで走り終わって、そうしてその日は22時過ぎに気が付いたら眠っていました。


そしてなんとこの日は夢を見たのです。

内容は、職場の男性からお出かけに誘われるというものでした。

全然嫌な夢ではない、ということはやっぱりラオス人のいる環境で太宰治を読めば悪夢にうなされずに済むということなんでしょうか。



でもこの日はアルコールが完全に体内になかったかというと、そうでもないというか、まぁ呼気検査をしても検知されるほどの量ではないと思うけど、0ではなかったかもしれないです。

まぁアレですね。ラオスってビアラオとか美味しいお酒がたくさんありますからね。



というわけで、今回の実験で分かったのは、ラオスではお酒無しには生活できない」ということと「アルコールありがとう」ということでした。

人間失格

以上!!!



赤ちゃんになりたい

なんだか今すごく赤ちゃんになりたい。

どうしてかというと、私はいま自分に自信がないからだ。

面白い文章を書けなくて、それがとてもつらい。

書こうと思えば書けるはずなのに、仕事や睡眠を言い訳にして動けていないのがとてもつらい。

でもきっと大金を与えられて良い寝具をもらっても同じようにやらないんだと思う。

どうしてやらないんだろう。

それが全然分からない。

でもきっと文章を書かなくたって満たされる環境にいるからだろうな。

1人でラオスに行って「すごいね」って言われたり、心配してくれる大人がたくさんいて、それで安心しているんだろうな。

もういっそそのまま赤ちゃんになっちゃいたいよ。

ラオスにいることなんて全然すごくないのに。

まぁ東南アジアにのしかもマイナーな国にいるのは物珍しいけど、本当に嫌味とかそういうの無しで、私は日本で営んでいる人たちの方がすごいと思う。

だから私は日本にいて、そこで生活しているときの自分は頑張っていると思う。

ラオスはオアシスみたいなものだ。

それで私は文章に自信がないの。

赤ちゃんになりたいけど、さっきワインを飲んじゃったけど、全然大した量じゃないんだけど、職場の尊敬する人が他の人と仲良くしたり評価したりしているので、たったそれだけの本当にたいしたことがないことで、とても悲しい気分になっちゃった。

前ならそうなんだ~で終わったのに、そんな気にしちゃうなんて、自分を評価できない時期なんだろうな。

私の他人とは絶対に違う点ってなんだろう。

優れている点ってなんだろう。

情緒不安定になったときようの服、日本に全部おいてきちゃった。

私ってしばらくはラオスで働いて、その後はどうするんだろう。

ずっとラオスは嫌だけど、日本で何をするんだろう。

やっぱり文章を書きたいのに、行動がそれに伴っていないよ。

どうしてだろう。

私ってどんな文章を書けただろう。

いまのこの情緒不安定な自分は私とだけの秘密にして、また元気な姿だけをみんなと共有しようと思ったけど、それでそれを本当の自分にしていくのが正解なんだろうけど、というかそれでうまくやってこられたんだけど、でも今日はみんなにも教えたくなっちゃった。

明日読んだら公開したことを後悔するのかな。たまたまだよ。

あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

アドセンスはなぜか表示されなくて、今月は広告収入が全然ないし、

朝も早く目覚めちゃうし、

あ、

またあんまり大切にされてる感じがしないような愛し方をされたいな。

それで文章を書いたら喜んでもらいたいな。

それで私はそれに満足したいな。

でもそれは絶対に私を見捨てない人が良いの。例えば家族とか。

だから菅田将暉くんみたいな男は嫌。私の中の想像の菅田将暉くん。

赤ちゃんになりたい、とりあえず。

泣いたらかまってもらって、笑ったら喜んでもらいたい。

生きてるだけで大切にされたい。

つまんないの。

ラオスでの生活は誘惑とアリとの戦いだ


サバイディー!
お昼はロシア料理を食べた森木です。



私は現在、ラオスの首都ビエンチャンという所で1人暮らしをしています。

日本にいる間はずっと実家住まいだったので、初めての1人暮らしがいきなりの海外、しかも東南アジアです。

陸上選手ですら引っかかりそうなほど高いハードルですが、なんとか頑張って生きています。


そして1人で生活をするようになって気付いたことがありました。

それは夜はめちゃくちゃ寂しいということです。


特にラオスは16時には仕事が終わるから、そのまま帰った日には寝る時間までの過ごし方を考えるところから始まります。

最近は、職員の何人かがスポーツ選手なので、彼らの筋トレを見る、ジムについていって横で自主トレをするなどしてできるだけ暇な時間を無くすことに努めています。


あとは日本にいるときよりも外食の回数が増えました。

やっぱりみんな同じように1人の時間を避けたいのか、職場の方々や現地滞在の日本人たちは結構フットワークが軽く頻繁に集まっているので、それに混じったりしています。

それからラオス人は大勢でごはんを食べることが好きなのか、たまたまその場に居合わせたりすると食事に誘われたりも。

こんな感じで特に娯楽のないラオスでも、寂しさを紛らわすことは可能なのです。









……なんてのは良くないんですよ!!!!!!!!


いや、そんな日々もたまには必要なのですが、こんな全ての誘惑にのっていてはブログを書く時間が無くなってしまいます。

現に去年の9月くらいはほぼ毎晩飲み歩いて、ブログを全然更新してませんでした。(誠に申し訳ございません)


それに以前、私の文章を評価してくれていた数名から「最近森木には闇がなくてつまんない」と言われたことがありました。

人が幸せに生きているのをつまんながるな!!と最初は思いましたが、確かにそうで、私は満たされてしまうとあまり良い文章が書けなくなってしまう傾向にあります。


morikicompany.hatenablog.com



なので、ここ数日は友達からの誘いは断るようにして、お部屋でパソコンと向き合いながら退社後の時間を過ごしています。

でもスポーツ選手たちの筋トレを見てたまに真似するのはリフレッシュにもなるし、ラオス語の勉強もできるので続けています。

なんか自分で言うのもアレですけど、仕事終わりに筋トレを横で見て真似る森木ってちょっと面白いですね。


あと、私がラオスで誘惑の他にもう1つ戦っているものがあって、それはアリです。

本当にラオスにいるアリっていうのは、タチの悪いストーカーよりもしつこいんですよ。

箱に入れたコンソメや、しょうもないレベルにこぼしたソース、しまいにはLUSHの甘い香りに誘われて気が付いたら大量発生しています。


そこで私は主に3つの策をとりました。

1つ目は、とにかくアリが寄ってきそうなものは捨てるor冷蔵庫にしまうということです。

しばらくはこれで大丈夫だったのですが、やっぱり気付かないレベルで拭き忘れたチョコとかに寄って来るのでイタチごっこで終わりました。


次に試したのが、アリの巣コロリを置く作戦です。

確か日本人向けスーパーに奇跡的に置いてあって、そこで買った記憶があります。

しかし2個入りとかで設置場所が限られているのと、あんなに憎きアリですが、けなげに黄色い粒を運んでいく姿を見ていたら「かわいそう…」という感情が湧いてきてしまったので、これもやめました。


そして最後にやったのが、虫がいなくなるスプレーを撒くことです。



これならそもそも寄ってこなくなるわけですから、1番良い方法ですよね。

あまり効果を信じていなくて実行にうつさなかったのだけど、実際に使ってみたらありとあらゆる虫がいなくなったので重宝しています。

でも油断して撒き忘れると、見計らったかのように奴らはやって来るので本当にイライラします。



以上の2つが、ラオスで日々戦っているものです。

東京で暮らしているときはほぼ向き合うことのない問題なので、というかそもそも実家で快適に過ごせているので、ラオスに来るといつも少し強くなった感じがします。

今日も誘惑とアリの両方がやってきましたが、なんとか倒しながらこの記事に至りました。

今年は合計で半年以上をラオスで過ごすことになるから、どんどん鍛えてムキムキになっていこうと思います。


なんか終わり方が投げやり過ぎですが許してください。


以上!!!



将来は駐在妻になりたい

サバイディー!
暑くて麺類ばかり食べてしまう森木です。


突然ですが"駐在妻"って響きカッコよすぎませんか??

略したら駐妻(ちゅうづま)ですよ??

ラオスで働くようになってその存在を知ってから、私は駐在妻になりたくて仕方がありません。

大学生のときに「"山の神の後輩"って言いたい」と言いながら勉強に打ち込んでいた日々がありましたが、アレと同じ感情が湧いてきています。


そして駐在妻の素晴らしいところは、肩書きの強さだけでなく福利厚生の良さにもあります。

まず駐在員の妻はビザなどの都合上でどうしても働くことができない、けれど海外赴任は会社都合なので会社は生活を保障しなければならない、ということで家族にも手当が出ることがあるそうです。

さらに住宅手当や子供の教育補助、保険料など補助もかなり充実しています。

あとは聞いた話だと、
・セキュリティ万全でプール付きの大きい家に住める
・専属のドライバーが付く
・家政婦も会社負担で雇える
などなどもう旦那が駐在員ってだけでこんなセレブな生活送っていいの?っていうくらい良いことづくめですよね。


それを知ってから私の駐在妻になりたい欲はさらに高まってきて、一度職場の人に「将来は駐妻になりたいんです」と言ったことがありました。

少し話は逸れますが、つい1週間前くらいにコジコジのアニメを観たんだけど、そこで先生が勉強に関心がないコジコジに「お前は将来何になりたいんだ?」って問うシーンがあったんですよ。

それに対して言っていた「コジコジだよ。コジコジは生まれたときからずーっと. 将来もコジコジコジコジだよ」にめちゃくちゃ心を打たれたのに、今や「将来は駐妻になりたい」と簡単に言う女になってしまいました。


そのときの私からあまりにも本気が滲み出ていたのか分かりませんが、以来皆さんで森木が駐在妻になるための方法を一生懸命考えてくださっています。良い職場ですね。

「そういう婚活を探す」「誰かに紹介してもらう」「SNSで海外赴任が決まりそうな人を探してDMを送る」など色々上がった中でも特に画期的だったのが「外交官試験の合格発表会場で『駐妻にしてください』というボードを持って立つ」でした。

外務省の広報担当の方々のお許しがでるならば、是が非でもやりたいです。


しかしここまで持ち上げておいてなんですが、駐在妻の暮らしはあまり楽しそうじゃない感じもします。(本当に何だよ)

というのも以前、駐在妻の生活を知るためにネットで調べようとしたことがあったんだけど、その際の検索結果が、


f:id:morikicompany:20190607224239p:plain


『駐在妻 ストレス』『駐在妻 悩み』などとにかくつらそうなんです。

駐在妻のブログのタイトルも「駐在妻ってしんどい」とか「うつの駐在妻」みたいな、思わず声をかけたくなるようなものばかりでした。

なんでも"駐妻コミュニティ"なるものが存在して、それがとにかく面倒くさいらしい。

それを見ていると、自分の駐在妻生活にもだんだんと不安を抱き始めました。


でも私は本当にある程度英語ができるから、現地の人と仲良くすればいいやと思ったんです。

だって狭いコミュニティにずっといるより、そっちの方が海外に来た甲斐があるし、楽しそうじゃないですか。

しかしそういう英語ができて生活範囲が広い駐在妻は、そうでない駐在妻たちから恨まれるみたいです。

なんか本当にくだらないコミュニティですね。


そんな中学生みたいな人たちのことは気にしなくても良いんだろうけど、旦那の仕事付き合いとか考えたらまぁ難しいんだろうなぁ。

(※実際に駐在妻になったらこの記事は消します)


と、駐在妻のメリットやデメリットなど色々知りましたが、でもやっぱり人生で5年くらいは肩書き"駐在妻"で生きてみたいです。

理想としては27歳で結婚して、29歳で子供を産んで、その3年後くらいに旦那の海外赴任が決まって子供をインターナショナルスクールに通わせる。

あるいは、29歳で結婚してそのまま駐在妻になって、帰ってから子供を産むでもいいですね。

すごい、初めてこんなに真剣に自分の将来を描きました。


でもあいにく今年の七夕はまだラオスにいるので、誰か代わりに『森木が駐在妻になれますように』と書いてくれると嬉しいです。

そして職場の人に「ちゃんと駐妻になれましたよ!」と報告をしたいです。

よろしくお願いします。


以上!!!



ラオスに来てから普段の生活で変わったこと

サバイディー!
仕事終わりに職場の人とバドミントンをした森木です。



前回のラオス滞在の後、日本に戻ってきてから「あれ、これラオスの影響受けてない?」という行動をいくつかとっていたことを思い出しました。

というのもそのときは3ヵ月弱向こうにいたので、なんとなく生活が染みつき始めた頃だったんですよね。

時間の流れや1日の過ごし方など、同じアジアとはいえど日本とは違うことだらけで、その分色々な行動や考えを変えねばならぬのです。

じゃあ実際にどんなところが影響を受けていたかというと、以下の4つになります。

裸足で色んな所を歩けるようになった


首都ビエンチャンはさすがに道端で裸足!ということはないですが、マッサージ屋さんやネイルサロンでスリッパの用意が無くて、そのままペタペタ床を歩くということがよくありました。

靴下を履いているときはまだいいですが、暑くてだいたいサンダルなので裸足のままです。


まぁまだみんなスリッパを履かないで統一してくれたらそれで良いんだけど、「靴のままでも脱いでもどっちでもいいよ」っていうパターンもあるんですよね。

そこまでいくと、もう水虫うつったらどうするの!とかのレベルではありません。

だんだんと「あー足って汚れるものなんだな」と思うようになってきます。


そのため、帰国してすぐに健康ランドみたいな所に行ったときは、スリッパを使うのを忘れてずっと裸足で移動していました。

でも日本では私が気にしなくても周りのほとんどの人からしたら嫌だよなぁとふと気付き、そこからなんとかスリッパを履く習慣を取り戻しました。

お札の握り方が変わった

お札(日本円)を何枚か手に取るときって、だいたいお札を横にして持つじゃないですか。

でもラオスにはコインがなくて全部がお札でなにかとかさばるし、紙の質もあまりよくない(すぐボロボロになる)ため、お札を縦にして握りしめるようにしてしまいます。


↑こんな感じ


ラオスにいる間、仕事でお金の管理をしていたのもあってか、日本に戻ってからもこの癖は全然直らないまま、またラオスに来てしまいました。

別に握り方でどうこうなるわけではないけど、日本円でやるとお金をあまり大切にしていない感が出てしまうので、ちょっと嫌なんですよね。

車に乗るときのドアを間違える


これはラオスに限った話ではありませんが、運転する位置が日本とは逆で左ハンドルになっています。

私は車酔いをしやすいからだいたい助手席に座らせてもらうんだけど、つい運転席側に回ってしまうことがよくありました。

ただ2~3ヵ月の間隔で日本とラオスを行き来しているので、こればかりは毎回初めの頃は間違えてしまいます。

道路を横切るときに超能力を使いそうになる

ラオスにはとにかく信号がありません。

いや、最近は結構増えてきたけど、それはあくまでも車向けのもので、歩行者用がほとんどないんですよね。


なので、大通りを横断したくなったら強い気持ちで左右に手を伸ばし、見えない力で車を制止する必要が生じてくることがあります。

現地のおじさんレベルになると、本当に超能力系の映画のような感じで車を止めていてちょっと面白いです。

それをこの前日本の田舎に行ったときに半分やりかけて、危ないと思いました。


でも実際信号があまりない所に住んでいる人はどうしているんでしょう?

やっぱり時に見えない力で止めるしかないですよね?



などなど、こんな感じのことが日本に戻ってもなかなか直りませんでした。

生活に支障が出るレベルのものはないけれど、他人がこれをやっていたらちょっと気になりますよね。

もし日本で私と会ったときに「それラオスにインスパイアされてるよ」という行動をしていたら、ちゃんと教えてください。


あとグレーすぎるので大見出しでは書けませんが、ラオスでは飲酒運転が結構あるから、「今日は運転手だから飲めない」と言っている人に「え、みんな飲んでるのに何を今さら」と言いそうになったこともありました。

絶対に国際免許はとらないで自転車で移動しなければと思った瞬間でした。

本当にこういう系はこわいので、ラオスに染まりながらも律する部分は律して生きていこうと思います。

できるかな~。


以上!!!



田園都市線を降りて、ラオスにやってきた

f:id:morikicompany:20180819214131j:plain




「良かったらラオスの仕事手伝ってくれない? 飛行機のチケット取ってあるから、1度遊びにおいで」


社会人になってから1年半の、ある夏のはじめのこと。

そろそろ仕事を変えようか悩んでいたときに、知り合いから予想もしていなかったお誘いがあった。


すでに飛行機のチケットを予約したなんてふつうだったらあり得ないこと。

けれど、前から興味のあった「広報」の仕事に携われると聞いて、私は2ヵ月後には仕事を辞めて思い切ってラオスに遊びに行ってみることにした。

…っていうと聞こえが良いかもしれないけど、実は同行する母と祖母が予約してくれた、ラオスの前に寄る“タイの良いホテル”が楽しみだったのが1番の理由だ。

あと象に乗ること。そして、船に乗ってナイトマーケットに行くこと。全部タイ。

それと毎朝毎晩田園都市線にぎゅうぎゅうに詰めこまれていた生活に、ちょっとだけ彩りもつけてみたかった。

早く帰りたかったラオス滞在


今まで海外は欧米にしか行ったことがなかったから、東南アジアって何なんだかよく分かっていなくて、食べ物とか衛生面とか心配なことが色々あった。

楽しみだったタイは私が思っていたよりもずっと発展していたけど、ラオスはこんな感じかぁという印象だった。

朝起きて、ホテルのカーテンを開けたときに飛び込んできた、ほこりっぽくて低い建物しかないあの光景はいまでも覚えている。

そこから2週間弱のラオス滞在がはじまった。


初日はざーざーぶりの雨の中、1日もかからずにできる市内観光をして、翌日に私が働く予定の事務所に連れて行ってもらった。

やっぱり建物はちょっと頼りなくて、自然災害がおきたら今にも壊れてしまいそうだった。

アリが机の上にたくさんいて、それから私のパソコンの上を横切って行った。

「トイレは綺麗な方だよ」って言われたけど、それでも東京の公衆トイレのような感じ。

あー早く帰りたいと、招待していただいたのにそんなことばかり考えていた。

水道水も飲めないし、デング熱狂犬病も怖いから。


ラオスにいる間は首都ビエンチャンにいただけでなく、地方を訪れたり、色んな人と交流したり、ナイトマーケットやマッサージに行ったり、意外と楽しい半分バカンスのような日々を過ごしていた。

念願の広報系の仕事もできた。ちゃんと自分の目でたしかめたことを文章にしたり、映像を制作したり。

こういうことをするのは学生時代からのあこがれだった。

掛け持ちしたライターのバイト、高校から大学まで続けていた映画サークル。全部がようやく、いや思ったよりも早めにつながってくれた。

それに、今まで行った国の中で、ごはんが1番美味しいという発見もした。

人も優しくて、道に迷っていたら近くにいる知らない人たちがみんな一緒になって教えてくれた。重いものを持っていたら誰かが手伝ってくれた。

電車がないから誰も急いでいない。

不便だからこそ、その分みんなで助け合ってゆったりと生きている素敵な国だった。


そしてあっという間の10日間が過ぎ、やっと日本に帰れることになった。

住めば都で後半はちょっと楽しかったし、ラオスの魅力も分かったけれど、事務所のスタッフとお別れの挨拶をするとき、もう本当にこれが最後なんだろうなと思った。

綺麗で安全な東京に戻れる。それだけが待ち遠しかった。

あと、うちで飼っているハムスターのそらくんと4匹のアカヒレに早く会いたかった。

恋しかった東京に戻ってこられたはずなのに…


帰りは行きと同じ、バンコク経由で成田空港について、それから成田スカイライナーで渋谷まで移動した。

渋谷は大学時代に毎日のように通っていた街だ。ファッションとか華やかな夜に興味があったわけじゃなくて、家から遠くないし、便利だからなんとなく好きだった。

電車もバスもタクシーもあってどんな場所にも簡単に行ける。それにご飯やお酒が美味しいお店がいっぱいある。


でもいざスカイライナーを降りて、そんなに大きくもないスーツケースをひきながらいつものバス停まで歩いていたら、なんだか急に心が寂しくなった。

もしも私がいまラオスにいたら、階段を上り下りするとき、誰かが声をかけてくれた。

もしも私がいまラオスにいたら、看板じゃなくて、人が道を教えてくれた。

もしも私がいまラオスにいたら、後ろの人から無言で急かされることもなかった。

もしも私がいまラオスにいたら…


あんなにずっと帰るのが待ち遠しかったのに、いざ着いてみたら「あー帰ってきちゃった」ってほんの少し、心のどこかで思った。

でも働くなら絶対に東京がいい。

だって、オフィスは綺麗なところが良いし、通勤も楽にしたいし、お給料もある程度もらいたいし。ただし田園都市線沿いじゃないところ。

あとは欲しいものはクリックだけで買えた方が便利だし、コンビニでおにぎりやからあげクンを買いたいし、服や化粧品だって色んなものから選びたい。

それに友達にすぐに会えなくなるのは嫌だし、彼氏とも色んなところに出かけたいし、家族とはなるべく一緒にごはんを食べたいし、最期までそらくんと4匹のアカヒレの面倒を見たい。

それだけじゃなくて衛生面や治安だって心配だった。


だから知り合いからの「どう?このまま働かない?」に対しては、ありがたい話だけれど、しばらく待ってもらうことにした。

なんだかんだで恋しくなっているものの、どうしてもそこで生活をするとなると一歩踏み出せない自分がいた。

だってもしそのままラオスで働いたとして、その後はどうすればいいと思う?

日本の職場に戻ったらどんな仕事をする?そもそも仕事は見つかるの?家にお金は入れられる?あとは結婚も…。

田園都市線が私をラオスに連れて行った


それからあっという間に1週間が過ぎた。

早く返事を出さないとと思いながら、その日の私は田園都市線に揺られていた。

いつも通り、人が圧縮された田園都市線の急行。


乗り換えのために渋谷駅で降りて、そして一気に体が冷たくなったのを感じた。

閉めたはずのカバンが開いていて、お気に入りの恐竜のピンがついたCOACHの財布がなくなっていた。

カバンをひっくり返してもない、自分が立っていた位置を見ても何も落ちていない。


私がぼんやりと今後について考えている間に、財布はどこか知らないところに行ってしまった。

遊園地に行く途中だったから、お金もそれなりに入れていた。免許証もクレカもキャッシュカードも全部入ってる。神社で引いた大吉のお守りも。


失ったものは大きかったのに、警察に行ったその後に会った友達に「よくそんなに冷静でいられるね」って言われたほど、いやに落ち着いていた。

「だってもう泣いても喚いても戻ってこないんだもん」と返した。

そう、どんなに足掻いても大好きだった財布は戻ってこないのだ。

でもこれから対策をすることは出来る。

カバンは閉めていても前に抱える、財布はカバンの奥底にしまう、そして田園都市線には乗らない。

ラオス行きを決断したのは、ほんとに些細なことだった


田園都市線ユーザーになって6年が経過していたが、あの満員電車、イライラしている人、すぐに発生する遅延…など積み重なっていた色々な嫌な思いが、その一件で爆発し、私は本当に田園都市線が嫌いになった。

でも私の家の近くには田園都市線の駅しかない。


だから私はそれからすぐに、知り合いに「ラオスでお仕事がしたいです」と連絡した。


私の中では大きな”決断”だったけど、でもこんな小さなことで仕事も将来も決めてしまったのだから、日本に戻ってきたときから「また行きたい」って本当は思っていたのかもしれない。

綺麗なオフィスも快適な通勤もまぁいいや。お給料は副業かなんかでカバーしよう。

服や化粧品は日本にいる間に買い占めておけばいい。

友達や恋人、家族との時間が減るのは寂しいけど、ずっとラオスにいるわけじゃないし、何回か帰ってこられるし。

そして、ハムスターのそらくんと4匹のアカヒレの世話は、母が引き受けてくれることになった。


ケージの中で元気に動くそらくんをしばらく見られなくなるのは寂しいし、何より私が飼ったのだから最後まで自分でお世話をしたかった。

大きな心残りはその1つだけ。あとは全部解決策があるものだった。

決めるべきことがあまりにも大きなものだから、色んな言い訳を考えていただけのようにも感じる。

もしかしたら人生ってそういうことだらけなのかもしれない。

田園都市線で起こったあの出来事が、私の決断は間違っていないよと後押ししてくれたように思う。


今はラオスでの仕事に携わらせていただいてから半年が経つが、良い人たちと美味しいごはんに恵まれて、風をあびながらトゥクトゥクの振動に揺られ、快適な日々を過ごしている。

仕事もとてもやりがいがある。やりたかった広報の仕事もそうだし、大学時代に勉強していた英語も使えて、プロジェクトの担当にもなれた。

そらくんもアカヒレも母のおかげで元気に生きている。

この生活を教えてくれた知り合いにも、ラオス行きを手伝ってくれた家族にも感謝でいっぱいだ。

そしてまだ、財布も盗まれていない。



#「迷い」と「決断」

りっすん×はてなブログ特別お題キャンペーン〜りっすんブログコンテスト2019「迷い」と「決断」〜
Sponsored by イーアイデム