こんばんは!
森木です。
又吉直樹著の『火花』が、11月23日にいよいよ公開されますね。
『火花』といえば旅行に持っていくほど大好きな1冊で、今回の映画はあの菅田将暉くんが主演じゃないですか。
それで実は2ヶ月ほど前に友達に誘われて試写会に行ってきたんですけど、それはもう満足すぎる出来でした。
是が非でも皆さんにオススメしたいので、今回は”菅田将暉くんが出ている”『火花』を観るべき理由をお伝えしたいと思います。
出演者が豪華
お笑い芸人"スパークス"の徳永役が菅田将暉くん、"あほんだら"の神谷役が桐谷健太さんと今旬の若手俳優によるW主演です。
他にも神谷の彼女・真樹役は木村佳乃さん、徳永の相方・山下役を2丁拳銃の川谷修士さん、神谷の相方・大林役を三浦誠己さんが努めます。
そして今回の作品の監督は板尾創路さんということで、期待度が高まります。しかも半年かけて脚本を書いたのだそう。
というか菅田将暉くんが出ているという時点でもう観に行くしかないですね。
求めているシーンがちゃんとある
私が危惧していた"消される可能性があるシーン"が3つありました。
1つ目は最初の方にある「楽しい地獄」、2つ目は井之頭公園での「龍よ目覚めよ太鼓の音で」、そして3つ目は菅田くん演じる徳永が勃起をするシーンです。
お願いだからあってくれ!とドキドキしながら観ていたのですが、もれなく全部あったので、Twitterで「原作と全然違うじゃん」っていう人になるのは免れました。
なんでこの3つのシーンが好きかと言えば、神谷さんの性格が一番分かるからです。
「楽しい地獄」は、花火大会の騒音にかき消されながら"あほんだら"が漫才をする場面で登場します。
何やらワーワー言っている2人の所へ地元のヤンキーがやってくるのですが、神谷さんは「顔を見ただけでその人が天国に行くか地獄に行くか分かるの」と言い、その人たちを1人1人指差しながら叫びます。
「地獄、地獄、地獄、地獄」
「地獄、地獄、地獄、地獄、地獄」
その様子を徳永は見ているのですが、神谷さんはふと動きを止めるのです。
指の差す方を見るとそこにいたのはお母さんと歩く女の子でした。
そして神谷さんは言います。
「楽しい地獄。お嬢ちゃんごめんね」
そう、この「楽しい地獄」!!
指を違う方向にずらすことだって、そのまま「地獄」と続けてしまうことだってできたのに、神谷さんが選んだのは「楽しい地獄」でした。
純粋さ、良い人さ、不器用さが分かる場面です。
全部語ると夏になってしまうのであとの2つは割愛しますが、神谷さんの人間性がよく出ているのはこの3つのシーンだと私は思います。
そこがきっちりと表現されていたので、その時点でもう文句なしでした。
菅田将暉くんが恋愛をしない
菅田将暉くんといえば今まで数々の映画でよく分からん男役を演じてきましたが、安心してください。
この『火花』では、菅田くんは恋愛をしません。
原作で恋人がいたみたいな表現はあったのですが、映画では特に使われていませんでした。
居酒屋の廊下で待ち伏せをしてキスをしてくることもなければ、明日にもどこかへ行ってしまいそうな神々しい役でもないので、心安らかに観ることができます。
これが最大のオススメポイントです。(は?)
個人的な感想、世間とは何なのか
菅田くんが恋愛をしないところが最高だから観てね!と言っても誰の心にも刺さらないので、最後に思ったことを書きます。
まず、私が火花を好きな理由は、気付かないくらいリアルな葛藤が描かれているからです。
一番分かりやすいシーンを抜擢させていだたきます。
本当の地獄というのは、孤独の中ではなく、世間の中にこそある。神谷さんは、それを知らないのだ。僕の眼に世間が映る限り、そこから逃げるわけにはいかない。自分の理想を崩さず、世間の観念とも闘う。「いないいないばあ」を知った僕は、「いないいないばあ」を全力でやるしかない。それすらも問答無用で否定する神谷さんは尊い。でも、悔しくて悔しくて、憎くて憎くて仕方がない。(又吉直樹『火花』)
この後に、2人のやりとりは続きます。
テレビに出たスパークスの漫才を見て、神谷さんは「おもろないってことではないねん。俺、徳永が面白いん知ってるから。徳永やったら、もっと出来ると思ってまうねん」とコメントをします。
それに対し徳永は返すのです。「ほな、自分がテレビ出てやったらよろしいやん」と。
神谷さんは、物語の冒頭で徳永が表現していた通り"真実"です。
自分が本当に面白いと思うことをして、誰にも媚びを売らず、結果売れなくて借金をしたかと思いきや突然の失踪。そして最後には本能となって戻ってきます。
一方で徳永は"世間"を分かっていました。
妥協して器用に生きて、だからテレビにも出演することができました。
自分のやりたいことをやるためにも、まずは認知が必要なんだと神谷さんが知らない「いないないばあ」を上手く使う訳ですね。
そんな徳永にとって、やはり神谷さんは尊い存在なのです。
この葛藤、生きていれば誰しもが1度は抱くのではないでしょうか。
こっちは生きるためにやりたくもないことをやっているのに、あの人はのびのびと生きやがってと、憎しみと羨ましさが入り混じったような。
そういうのが、お笑い芸人という不安定な職業(?)を通して描かれているのです。
売れなければお笑いを続けるためのバイトをしなければいけないし、売れればドカーン、でもそれもいつまで続くのか分からない。
そして芸人として売れるために必要なのは、圧倒的な世間に受け入れてもらうことです。
どんなに自分が面白いと思っていることでも、世間様が良しとしてくれなければ、目立つことも生活することもできません。
神谷さんのように真っ直ぐやる人・徳永のように器用にやっていく人がいる一方で、世間にがっちりハマるお笑いを提供できる人(鹿谷)もいます。
この対比がなんとも残酷です。
だけど神谷さんの生き方だって間違ってはいません。
だって自分にとっての究極を追い求めることのなにが悪いのでしょうか。人間のあるべき姿です。
しかしここに"世間"が介入してくることで、自体は変わります。
残念ながら、世の中ではちゃんと食っていける人が認められるのです。
何人の人がそれに疑問を持たず、そしてどのくらいの人がそうと知りながら生きているのでしょうか。
生き方に正解はありません。だけどなにか差異が生まれてしまうのは、正しいルートが確かにあるからです。
そういうのが2人の生き様を通して描かれているので、難しくはありますが誰しもが共感できる内容ではないでしょうか。
私はちょうど就活真っ盛りの時期にこの本と出会えたので、めちゃくちゃ心に刺さったのかもしれません。
だいたい発散出来たところでそろそろ寝ます。
以上!!!
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