ブラピが出てる『Fight Club』を観た。
最初は(バキみたいでカッコいーーー!!! ボクシングでも始めようかな!!!)と男たちが殴り合う姿に純粋に興奮していたが、観終わった後に寝転がって天井をぼーっと眺めていたら自然と涙が出てきた。
全く"泣こう"という気持ちはなかった。
ただ天井を見ているだけなのに、ボロボロでもなくポロポロでもなく不規則にわずかな涙が目からこぼれてくるのだ。
普通なら映画に心を動かされて何かを考えることで涙が出てくるのだと思うが、そのときは涙を流した意味を知るために思考を巡らせた。
あれこれ考えながら、自分の部屋と私がちゃんと1つになっているような感じがした。
そして早くこの部屋の一角に壁紙を貼れよと思った。
この辺はどうでも良いので手短に書くけど、私が映画の世界に行く頻度が増えたのは就活生になってからだった。
初めては、確か説明会の後の駅のホーム。
目の前の景色と自分が切り離された感じがして、それを心療内科の先生に話したらなんか変な薬を出された。
書面の番号をそのまま入力するという行為もできず、気を抜くと意味不明な数字を打ったりしていたのを覚えている。
それはすぐに飲むのは辞めたけど、薬が無い代わりに自分で心と頭を守るようになり、そのためには映画の世界に滞在していなければならなかった。
これまで経験してきたことはもちろんちゃんと私が感じたことだしすべて覚えているけれど、なんとなく少し遠くにあってでもそれが治ったような感じがした。
今までも多分何回かこういう瞬間はあったと思う。
それにもう少し映画の世界に戻りかけているが、けれど片足くらいは現実に踏ん張れている気がする。
元カレと付き合っていたときに、私のこれまでの仕事の選択を全て否定されたことがあった。
最初の電話営業も今のラオスも。
私はなにかと理由を付けて反論したし、元カレを最低な人だと思っていたが、この部分だけはどうして素直に答えられなかったんだろうと思った。
あるいはあのとき、元カレはブラピのように私に銃口を向けるべきだった。
文章を書くために組織に所属しようとしない理由はまだ分からない。
単純に誰かの下で働くのが嫌なのか、あるいはもし続けられなかったらと不安になっているのか。
けれど私はもういい加減、就活をしていた頃からの自分を否定しなければいけないと思う。
この前、嫌なことが立て続いて頭がごちゃごちゃになって久々にカウンセリングを受けた。
ただ今までと違ったのは、カウンセラーさんに話しながら全部答えが出ていた。
外れのカウンセラーさんだったので、その人は寄り添うことは特に無く想像で私を決めつけたあげく現実的なことを羅列し、私の5倍くらい喋って、30分が過ぎた。
この4,000円はパーソナルトレーナーさんに払った方がよっぽど有意義だったと後悔した。
それと同時に答えがこんなに出ていたのになんでここに来たんだと思った。
お金を払って然るべき人に肯定して欲しいだけだったのかもしれない。
でもやっぱり自分を1番よく分かっているのは私自身でしかなかった。
この映画を観なければ、あのとき元カレがブラピになってくれていたことも、そしてこれからの私の中にはブラピが必要でありそれを生み出すことができるであろうことにも気付けなかっただろう。
そんなことをぼんやりと考えて、30分くらい経っていた。
人生を振り返って感情が高まったときも、別に涙が出る量もペースも変わらなかった。
この映画を観て泣かなかった人は、きっと自分の人生に満足しているのだと思う。
同じような現象になった人は、ブラピを作りだしていこう。