悔しい。
帰り道にボロボロ泣いた。
「女の子なんだから、そこまで鍛えるとおかしいよ」
「そんなに鍛えて何が楽しいの? やらなくて良いよ」
「体の写真とかSNSに上げるのもうやめなよ」
これは私が最近身近な人たちに言われた言葉だ。
その場では「いや~でも健康的だし楽しいよ」と言ってやり過ごすが、本当は悲しくて悔しくて仕方がない。
怒りだって込み上げてくる。
もし、もしも本当に私を心配して悩みぬいた末に伝えてくれているのだとしたら、私のこの反応は間違っている。
でもだいたいが笑いながら、ちょっと小ばかにしたようなトーンでそう言うのだ。
去年の7月からこんなに真剣にやっていることをそんな簡単な気持ちで否定しないで欲しい。
周りでも同じように、あるいは私以上に努力している人たちを沢山知っているからこそ、余計に嫌だった。
鍛えることの何がいけない?
絵や文章や花、ファッションでは表現をしていいのに、どうして身体ではそれが許されないの?
大切に育てた肉体を人に見せることのどこがダメ?
もしそこに私が"女性だから"というのが入っているとしたら、こんなにも残念なことってあるだろうか。(というか入っているよね)
私は今まで最近世間が取り上げている男女差別みたいなものをそこまで真剣に気にしたことは無かったし、それに言及することも無かったけど、あぁこういうことなんだと思った。
あなたたちが想像する"女性らしさ"に私が当てはまらなかったとしても、なぜ無理やりそこにねじこもうとするのかが私には分からない。
身近な人だから、予想の範疇にいないことが不快なのだろうか。
じゃあ私がここで鍛えることをやめて、以前のようなちょっとふっくらとした体型になったらそれで満足?
そんな私を好きになった男性とお付き合いして結婚できればそれであなたたちは幸せなんですか?
というか"女の子だから"鍛えるのをやめた方が良い理由は何?
バキバキの身体に憧れてはいけない?
確かに私くらいの年齢だとやりすぎはホルモンバランス的に良くない。
でも確実にそういう観点からの指摘じゃないから、結局はそういう、異性とのあれこれを心配してのことなんだろう。
だとしたら、別に私は誰かと結婚したくて生きているわけじゃないし、楽しくて鍛えているのでどうか放っておいて欲しい。
本当はその場で思っていることの全てをぶつけたかったが、そうすると筋トレやトレーニーに対する印象が悪くなる気がしてやめた。
あとはこんなこだわりの強い生活をしても仲良くしてくれる友達や、筋肉を褒めてくれるトレーニング仲間、静かに私をサポートしてくれる母の存在があったから、色々なことをなんとか耐えることができた。
ストレスでコルチゾールが沢山出ていただろう。
ごめんね筋肉。
私は悔しい気持ちのまま今日もジムに行った。
尚隆のような大腿四頭筋を手に入れるため、脚のトレーニングをした。
ハックスクワットからのレッグエクステンションをしているとき、ボーナスタイムのように肩がデカいマッチョたちがいっぱい入ってきて、途中から何でドキドキしているのか分からなかった。
みんな美しい。頑張るあなたは美しい。
こんなデカい筋肉をつけるために、どれほどの努力をし、孤独と向き合ってきたことだろうか。
そして今日もトレーニングは楽しかった。
苦しくて痛かった場面もあったけど、明日の私の脚が今日の私の脚よりも少しでもデカくなっていることを想像すれば大したことは無い。
これからだって体をデカくするためにジムに行く。
憧れのマッチョと同じ空間でトレーニングをする。
それから自分の筋肉の写真だってたまにSNSに上げる。
私はそうやって批判されるくらい、一生懸命なんだ。
きっとつい止めたくなっちゃうくらい、一生懸命なのが伝わってしまっているんだ。
じゃあこれからも、というかこれからはもっと気合を入れて頑張ろう。