今日の森木はとてもみっともないです。
みっともないけど、ありのままをなぜか共有したくなりました。
まずタイトルの通り死のうと思いました。
嫌なことが重なって、さらに味方がいなくなったからです。
まず、9月をメドに転職しようと思っています。でも職場には3人しかおらず、1人は今月で辞めるので言いづらいです。
言いづらいし、次に何をしようとかは特に決まっていません。
それなのに職を変えるのは、自立がしたいからです。
今の職場は普通の会社じゃないからしょうがないんだけど、お給料は新卒以下だしボーナスは出ません。
こんなことを言うのはアレかもしれないですが、実家にある程度余裕があったから続けられました。
でも言い換えれば3年間ずっと実家のお荷物でした。
去年からモヤモヤはしていましたが、この前貯金残高を見て決意しました。
とても良い職場だっただけに、お金を理由に転職するのはちょっと気が引けるような気もしますが。
しかも次の目標も特にないし。
ただ大きな組織で決められたことを淡々とこなしたい、という気持ちだけはある。
あとダイエットが順調じゃありません。
摂取カロリーを減らしているのに体重も体脂肪率もメキメキ増えていきます。
大会前の減量のときもそうで結局は乗り越えられたんだけど、それでもつらいです。
それとハムスターが骨折をしました。
体調が悪かったので病院に行ったところ点滴をすることになり、そこで暴れて骨折した可能性が高いです。
怖い思いをさせた上にそんな大きなケガをさせてしまったことがとても心苦しいです。
それから弟が一時的に帰ってきています。
我が家は弟中心です。
特に母は弟が大好きなので、何かと私が悪者になります。
しかしそのことを指摘すると怒られます。
ついさっきは、本当にしょうもないことなんだけど、弟がリビングのドアを開けっ放しにしていたので注意しました。
私も同じ内容で母から注意されていました。
「冷たい風が入ってくるから閉めて」と口を酸っぱくして言われていたので、私もそれをそのまま言いました。
そうしたらそもそも私がリビングで仕事をしていたことを責められました。
そのことが納得いきませんでした。
というか、弟が帰ってきてからこんな感じの腑に落ちない出来事が沢山ありました。
それを一気に思い出し、ただでさえメンタルがボロボロな状態だったので、そうなると私は発狂してしまうのです。
苦しいのと、その今までの我慢のつらさを伝えるために、あとは反対に今後人間でいられるために発狂します。
そして今回の母親はそれでもなお、普通に弟の味方をし、私を100%否定しました。
別にそれが正しい反応なんだけど。
だって同じ部屋にいる人に突然大声で叫ばれたら、うるさくてイライラするし。
だけど、1%も、0.1%たりとも私への理解に労力が使われなかったのが分かり、その瞬間に「あ、ダメだ」というアレが来ました。
死のうと思ったのは今回が初めてではありません。
思うだけなら何度でもあります。
でも今日はその感情がよりリアルだった。
まずは自傷をしようと思いました。
手首を切る、とかじゃなくて中二病みたいなことを言うけど、床に血だまりができるくらい切りたかったです。
苦しいからっていうのもあるけど、これもまた表現としてそうしたかった。
言葉という手段もあるけど、でも今の私の苦痛はそれだけじゃ足りなくて、もっと誰にでも分かりやすく伝えるとなるとなったときに思い浮かんだのがそれでした。
でもやめたのは、筋トレをしていたからでした。
そんなに大きな傷を作ったら、着るウェアが制限されるのはおろか、しばらくトレーニングができなくなるかもしれません。
それでも切れそうな場所をできるだけ必死に考えましたが、大出血するような場所はだいたいダメ。
しかもしばらくトレーニングできないなんて状況は逆にもっとつらいから、それから死のうと思いました。
これも別に勢いで「死んでやる!!!」と思ったのではなくて、そういう表現としてです。
床血だまり大量出血ができないなら、あとは今の状況を家族に教えてあげられるのは死ぬことかなと思っただけです。
(私は父親と良い関係になる気もないので、ハムスター以外の誰にも情はもう無かったです)
仕事でも思い悩んでるし、趣味もうまくいってないし、家庭環境もアレだし、他にも全体的につらいことが降りかかってばかりで、いつも味方で理解者だった最後の砦である母親も決壊。
生き続ける理由は特にありません。
が! が! が!
ここでなぜかカイジの顔が思い浮かびました。
この期に及んでなぜカイジなのか分かりませんが、なんか出てきたんです。
ここまで書いてみても死につながるまで意外と冷静に思考していた私の脳裏に、1人のカイジ。
ネタみたいになってきたけど、あの時の私は机に肘をついて顔面を覆って、できるだけ目的を果たせる、すなわち苦しみを的確に表わせる死に方を真剣に考えていました。
しかしこれまでのカイジ(ワン・ポーカー編の4巻まで読んだ)が走馬灯のように思い出されます。
(※ここからカイジ・アカギのネタバレあり)
それから思いました。
彼の生への執着はなんだと。
他人の高級車のエンブレムを折ったことがバレても、バイト仲間の借金の連帯保証人になっても、そのたった30万円の借金のせいで指4本と片耳を切り落としても、地下で重労働を強いられても、7億がかかった勝てるかも分からないパチンコのためにさらなる借金をしてでも、さらには一晩で4億をすっても、それでも生きる。彼は生きる。
生きることの何がそんなに楽しいんだ。
あんなどん底を経験しているのに、何が彼を生かそうとしているのかと。
というか、彼に死なんて選択肢はそう簡単に現れない。
出てくるのは、ギャンブルのときだけ。命を賭けの対象にする、そういうときだけ。
ギャンブルジャンキーとしての信念。
そう、信念。
アカギにもあった。
アカギは最後、安楽死を選んだ。
でもそれは「自分が自分である」という信念のために、それを貫き通すためだった。
私はどうだ。
あんな苦しいとか色々言っていたけど、恐らくもっとその奥深くにあったのは「こんなみっともない状況から脱したい」という、ただの逃げ。
友だちも筋肉もハムスターもいるのに、簡単に逃げようとした。
もし私があそこであのまま死んでいたら、"その程度"だった。
他人の死に対してそんなことは絶対に思わないが、私は自分の死に対してそう評価するだろう。
そんな行為になんの意味があるのだろうか。無駄な死。無意味な死。
ここまで書くのに1時間半くらいかかったが、1度リビングに降りたら母親がいた。
無言で目の前を通り過ぎると「まだ怒っているの? ごめんね」と言って、冗談っぽくハグしてきた。
私は母親の腕を噛むフリをした。
それから2人して笑った。
カイジとアカギに出会っていなかったら、この不器用な謝罪も、いつぶりかも分からない母親からのハグも知ることはなかった。
ついでに筋トレに目覚めていなかったら、あのときの私にとって包丁で自分の肌を裂くなんてことは容易だったから、間違いなく実行していた。
死ぬまではできなくても、これは間違いなく。
まだ私は自分の確固たる信念というものが分からない。
でもあげるとすれば、その簡単な行動を乗り越えて死にまで導いた筋トレだろう。
彼らのように生きよう。
信念のために生き、そして信念のために死ぬ。
(調子が良くなってきたのでオンライン麻雀をしました。3位でした。もう1戦します)