森木製菓

果たして社長になれるのか!?

これからの後悔の仕方

AかBかの選択を強いられたとき、そして自分が下したその決断が正しくなかったとき、当たり前のように激しく後悔する。

あのときもう一方を選んでおけば…。

少しでも迷いが生じた上での選択であれば尚更だ。


しかし、例えばそのときにAを選んだとして、Bにしておけば良い結果が待っていたかといえばそれは分からない。

もしかしたらもっとひどい結末になっていたかもしれない。

Aを選んだときの自分にとってBが望んだ結果を運んできていたとしても、実際にBを選択したからといって同じように事は運ばなかったりする。


麻雀をしているとそんな局面に差し掛かる。


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「あのときやっぱり七対子を諦めなければ…」「やっぱりもう一方を切ってリーチにすれば一発だったのに…」

そんな後悔がしょっちゅうだ。


しかし違う牌を切ったら、もしかしたら鳴かれていたかもしれない。

鳴かれることで流れが変わって、それで結果相手に振り込んでしまってしかも三倍満、もちろん逆に自分がもっと良い手であがれることもあるだろう。

だけどそんなことは実際に両方やらないと分からないのだ。

その選択の結果がより正しいものだったかどうかは誰にも分からない。


そう考えると、自分の選択ミスを悔やむのは無意味な心のすり減らし方だと思った。

後悔するとすれば、その選択が自分の中の軸や信念、そういったものを裏切るような判断をしてしまったときだ。

欲が勝って普段では絶対にしないような方を選んでしまったとき、そういうときにその行為を反省する。

良い結果はもちろん大切だが、今後の人生をより豊かにするために、結果そのものよりもその自分の中の軸や信念のようなものを正しく築き上げていくことも重要だ。