今日は台風だったから、普通の人間でいられた1日でした
こんばんは!
森木です。
今日は凄まじい台風でしたね。
私は結局家から一歩も出ずに『ジム・キャリーはMr.ダマー』という映画を観たり、記事を読み漁ったり、弟の宿題を手伝ったりしていました。(超良い姉ですね!!!)
あとはほとんど自分の部屋にこもって妄想や考え事をしたりしました。
昨日の考え事のテーマは『おじさんと女子大生』でしたが、今日のテーマは『うつ病の人が生じる社会』についてでした。(差の激しさ)
なぜこんなテーマになったかというと、昨日ジャック・ニコルソン主演の『シャイニング』という映画を観たからです。(おっさんが不気味な笑みでドアの穴から顔をのぞかせているアレ)
『シャイニング』はホラーなので直接関係しているわけじゃないんですけど、ジャック・ニコルソンを見ていたら『カッコーの巣の上で』という作品を思い出しました。
精神異常を装って刑務所での強制労働を逃れた男が、患者の人間性までを統制しようとする病院から自由を勝ちとろうと試みるという物語である。
私はこういう精神病棟で物語が繰り広げられる映画(17歳のカルテとか)が好きでいくつか観ていたんですけど、その度に思うのが"果たして何を持って「正常」と判断するのか?"ということです。
精神病棟での話だから登場人物はほとんど精神に「異常」をきたしているはずなのに、言っていることは至ってマトモに聞こえるんです。
むしろ看護師がおかしく見えるときもある。
ちなみに辞書でこの2つの言葉の意味を調べてみると、
正常:正しいとされる状態にあること。また、特に変わったところがなく、普通であること。また、そのさま。
異常:普通と違っていること。正常でないこと。また、そのさま。
ここで思うのは、じゃあ普通って何かっていうことです。
去年アイルランドにいたときに発見した記事を載せますね。
なんでだか分からないけど当時このことで悶々としていたので、この記事を読んだ瞬間にあぁこれだ!となった記憶があります。
出だしにも書いてあるけど、満員電車に黙って乗っていられるのってよく考えたら凄いですよね。
だって、他人が来ることによってストレスを感じる距離って15~45㎝って言われているんですよ。
それなのに満員電車はゼロ距離どころかむしろめり込んでいるじゃないですか。
だけどその中で黙っていられるのが「正常」で、あぁもう無理!となって叫んだりしてしまったら「異常」の枠に入れられてしまうのかなぁと思いました。
でも普通という点で考えたら、後者の方が「正常」な反応ですよね。
結局「普通」っていうのは誰が決めたわけでもなく、みんなが勝手に作り上げているもので、そのマジョリティーの中に入れない人たちが生きづらくなってしまう社会ってどうなんだって思います。
私みたいに「就活ってどうなの? なんで新卒じゃないとダメなの?」っていう人に対して「いや、みんなそうしているしそうしなきゃいけないんだよ」と言われたらもう勝てないんです。
見えない室伏広治がバックについている感じですよ。(こわい)
それくらいマジョリティーの押し付けは恐ろしい。
そう、それで今日のテーマに戻るけど、
例えば、「やりたいことがあって、それを達成する場所は学校ではないから大学には行きたくない」っていう蒼汰くんがいたとしましょう。
でもほとんどの大人は「何言ってるんだ。行った方が良い」と言ってくると思います。
そのほうが安全だし、それ以外の生き方にあまり触れたことがないから。
それに対して蒼汰くんもプレゼンをしたりと彼なりに努力をするわけですが、多分ずっと受け入れられないでしょう。
色んな人に「どうして学校に行かなければいけないのか?」と聞いても、やっぱり自分にとって必要だとは思わないし、確かに学校に行くのが当たり前だし一番なんだろうけど、蒼汰くんはどうしてもその思考に納得がいかない。
だけど、そうやって言うと怪訝な顔をされる。
蒼汰くんは自分にとって本当に大切なことを分かっているのに、マジョリティーに負けて生きづらさを感じていってしまいます。
周りに触れれば触れるほど、だんだんと罪悪感を覚えるようになって、自分がおかしいような気もしてしまって、無気力になっていってしまう。
みたいなことは結構あると思うんです。
学校に行くのは当たり前という思考になれたらというか、もう意識のレベルでそれを思っている人たちみたいになれたら苦しむ必要は無かったと思います。
っていうのは本人も分かっているのに、それをまた第3者から言われたら本当にキツいし、そうなれない自分の思考を責めてしまったりもしますよね。
じゃあホイホイとやりたいことをやらせればいいのかって言われるとそうではなくて、というかやらせてあげてもいいし、ダメだったにしても蒼汰くんの考えだけはせめて受け入れてあげてほしいです。
以前ブログに書いたけど、私は家族と価値観が合わないので(ネガティブに捉えてないですよ)、1歩でも部屋の外に出たら私の中での普通がそうではなくなってしまうから、今日はその"普通"を大切にできた日でした。
別に他人の思考は積極的に取り入れましょうっていうのではなく、頭ごなしに否定しないで、受け入れたり認めたりするだけで生きやすくなる人は増えるんじゃないかと思います。
そういう意味で、色んな人と出会うのは大切だと思いました。
私は基本、違った考えも取り入れていきたいと考えているのですが、たまにはこうやって自分の頭の中ととことん向き合うのも必要ですね。
沢山の人やものに触れて、受け入れる幅を増やしていきたいです。
"君は君で僕は僕、そんな当たり前のこと、なんでこんなにも簡単に僕ら、見失ってしまえるんだろう?"
以上!
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