世間に認められたい(結婚したい)
こんばんは!
毎月3連休があればいいと思う森木です。
私といえば彼氏すら作りたくないことで有名でしたが、最近結婚したいな~~と思うことがよくあります。
その理由は"うるさいを減らしたいから"です。
具体的にどういうことかと言えば、インターネット世代に生きているおかげで目の前にある情報が多すぎて嫌になっちゃうんです。
最近なんてTwitterやGoogleがご丁寧にその時のトレンドを教えてくれるようになって、ちょっとスクロールしただけで沢山のことが分かります。
流行りを知っておくことは大切なのですが、アレって正直私の中ではストレスでもあるのです。
ただ厚さで表すとティッシュ1枚程度なので大したことではなかったはずでした。(弟にお菓子を食べられたときのイライラはiPhone5sくらい)
だけど、この前都税かなんかの確定額が送られてきて、嫌だ~と思ってネットに逃げようとしたらニュースだらけだし、テレビでコメンテーターは色々言ってるし…な状況になったときに、心の底から(結婚したい!!!!)と思いました。
でもこの場合の「結婚したい」は大半の人が思い描く"好きな人と幸せな家庭を築くための"「結婚したい」ではなく、"結婚という名の宗教に入りたい"という意味での「結婚したい」になります。
というのも、私は"特定の対象のために何かをする(何かをするための特定の対象がいる)"という意味で結婚と宗教はかなり似ているなと思うのです。
前にnoteに書いた『菅田将暉くんの教えで生きたい』っていうのがこの考えに近いかもしれません。
動きたいけど結果が保証されていないからできない、だから頑張る理由にも頑張った結果にもなってくれる菅田くんという存在が欲しいと。
それに加えて、やるべきことが多すぎて安定を求めたくなっているのもあります。
あとは、これは前々から言ってるけど安全基地を求めてしまう。
「世間がなんと言おうが、僕がいるから大丈夫だよ」って言ってくれる人がいて、安心して発信できる(もちろんモラルなどは気にするけど)ようになりたい。
とにかく、うるさいを減らす基準となる人物として誰か結婚してくれと思います。
本当は自分がその基準となれるのが1番なんだけど、どうも自分だけっていうのは不安なんです。
「周りの目なんて気にするな」という考えもありますが、やはり人は世間ありきで成り立っていると思うんですね。
この前いつもの後輩から太宰治の『人間失格』のあるシーンが送られてきて、それが「世間世間っていうけど、世間って結局君じゃないか」という内容でした。
人間失格は読んだことはあったけど、このシーンは当時は特に気になっていなくて、でも今見たらすごい衝撃でした。
ともすると、私の世間はまだ完璧ではなので、私が追い求めているよき世間、あるいは社会を持っている人と結婚したいです。
うーん、なんかまだまとまりがないけど、そんなことを最近考えています。
27くらいまでには好きな世間に認められたいな。
なんで27かというのはただ単に好きな数字だからです。
私の頭の中だけではうまくつながってない感じがするので、誰かぜひ対談相手になってください。
というか、太宰の『人間失格』も又吉さんの『火花』も世間の話だな~って思ってたけど、もしかして太宰がいう世間=自分で、又吉のいう世間=他人という描き方がされているの?
だって火花は芸人という職業を成り立たせるための世間を描写していますからね。
全然違うけどこの辺も気になる。寝ます。
以上!!!