最悪な朝だった。
クラブハウスを開いたら"People to follow"の欄に元カレのアイコンがあった。
意識が高くてちょっと変わった人だったから、どんなプロフィールにしとんねんと思って覗いてみたら、Nominated byのところに見たことがある女性の顔があった。
別れ話をしている期間に、というか元カレが私との別れを意識した辺りから何回か写真で拝見したことがある顔だ。
それを目にしたとたん、久々に感情を揺さぶられた。
怒り、悲しみ、憎しみ、どれなのかは分からないけれど、こみあげてくるものがあった。
ただ言えるのは、そこに「まだ付き合ってるんだ。良かった」という安堵も、「まだ付き合ってんのか!ふざけんな!」という嫉妬もなく、ただ獰猛な犬のような気持ちだけがあった。
友達の期間も含めたら5年もの付き合いだったが、最後まで1度も、どうして私がたまに情緒不安定になってしまうのかバレることはなかった。
バレなかったし、近いところにも触れられなかった。
相手は私を理解しようとしたみたいだけど、まぁ結局はそこまで私に興味が無くて、その程度の、面接官と就活生みたいな関係だったんだなと思う。
誰よりも遠かったのに、誰よりも近い存在だとずっと勘違いをしていた。
別れる理由も何度も一生懸命説明してくれたんだけど、たった一言「他に好きな人が出来て、森木よりも僕の人生にメリットがある人だったので」と言ってくれれば良かった。
と、その方の短いプロフィールを読んだときに思った。
あと、あんまり近過ぎる関係はちょっとね、みたいなポリシーのもとで付き合っていたのに、別れ際の話を聞いているときは"普通の幸せ"を幸せと感じているんだなと分かり、まじで気持ち悪いと思った。
このまじで気持ち悪いは、2人の関係性、付き合い方に対してだ。
私はあの後ラオス人と付き合って、元カレにされることのなかったちょっとした束縛とかを嬉しいと思ったりしていていた。
つまり、お互いそういうカップルらしい幸せを求めていたワケで、それがたまたま果たせない組み合わせだっただけかもしれないが、そういうのって心底不気味だなと思った。
↓以下、ラオス人ぴっぴと付き合っていたときに書いた脚本の一部
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言葉を得て、賢くなった人間とは気持ちが悪い生き物だ。私はこうしてあなたとの思い出と向き合い、苦しむ方が、人間であることを許されているような気がする。人間として生を与えられたことに意味があるような気がする。あなたに無理矢理愛させてしまったこと、気持ち悪い恋愛を続けたこと、本当にごめんなさい。
そもそも私たちの関係は、始まってはいけなかったのだ。必要のない時間を生み出したのは私だ。いつまでこの後悔を続ければいいのだろう。この後悔を突き放すことが、あなたへの最大の否定だ。それから、後悔の後のこの穴を埋めてくれるのは、幸せでなければならない。幸せは薬だ。私の人生の最後まで、この人が与えてくれる幸せに麻痺していよう。この人が私に生きるのを許すために、与えてくれる幸せのためならば、私はなんだってする。
心の満たされない部分を埋めるために労力を使い、私は表現をするのに、あなたが一言「好き」と言ってくれるだけで、その穴は一瞬で何も入る余地を与えなくする。幸せは薬だ。
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しかし私にとってはそんな当たり前の幸せ、なんとしてでも抱え込んでいたいと思っていた幸せは、半年でお腹がいっぱいになった。
元カレが幸せ(そうに感じる)になっている一方で、私はいつまでも異性との関係性の正解が分からないまま、ふわふわと生き続けている。
相性っていうのがあるんだろうけど、それを見つける努力もせず、ただ自分が解けない問いをクリアしている他人を時折妬ましく思うという、何の生産性もない時間を過ごしている。
そんな自分の思考とか、流行りに身を委ねているメンヘラっぽい人が増えていること、マッチョYouTuberがこぞって彼女を作り出したこととか、小さな不満の積み重ねで、歯を磨きながら泣きそうになった。
でもそんな小さな不満のために涙を流すのはもったいなくて、またいつも通りに仕事を始めて、夜はジムに行った。
その獰猛な犬のようなエネルギーが有り余っていたから、スクワットで45kgを8回上げてみようと思った。
メモ帳を開いて自己記録を確認する手間ももったいほどに、とにかく重たいものを持ち上げたいという気持ちだけがあって、自分の体重と同じくらいの重さを8回上げてみたかった。
3回目くらいまでは、いつも通りにいけた。
4回目以降は気合いで乗り切った。
8回目は、もう余計なことを考える暇もなくて、潰されている自分と上げきった自分、どちらが残っているかとそれだけだった。
ジムから家に帰る途中、クロスバイクをゆっくりと漕ぎながら、トレーニングをしている間は朝ずっと苦しんでいたことが、どれ1つとして脳内になかったことに気が付いた。
同時に45kgを8回も持ち上げた自分が持つ悩みとしては、どれもしょうもなさすぎるんじゃないかと、変に自己肯定感が高くなった。
その翌日、トレーナーさんに背中の写真を撮っていただいたのだが、それが想像していた以上にデカかった。
そしてまた、こんなデカい背中があるのに何を気にしていたんだと思った。
私がクラブハウスのプロフィールに書くのは、「5度の飯と筋トレが好き」、それでいい。
カッコいい仕事の肩書きも、元カレが興味を持ちそうな趣味もないけれど、「尚隆の脚と才木玲佳ちゃんの肩を目標」に生きていて素晴らしいじゃないか。
万が一、逆に元カレの"People to follow"に私のアイコンが表示されて、プロフィールを覗いたとしても、たぶん「また血迷ってるよ」くらいにしか思われないだろう。
そんなことを考えていて、LINEもTwitterもブロックしたのに、あんな別れから1年以上が経ったのに、まだ未練があるんじゃんと思った。
でも5年も好きだったんだから、そりゃ3mmくらいはまだ残っていても良いよね。
今日のクラブハウスの"People to follow"には、元カレのアイコンは無かった。
でもなんとなくこの3mmを大切にしていたい気もするから、たまに表示してくれてもいいよ。