ロマンチックからおじさんの話
最近通勤中に韓国ドラマを見ているのだが、主人公の女性が良い感じの男性を家の前まで送り届けるシーンがあった。
男性は「家に寄っていきませんか?」と尋ねるのだが、女性は断りを入れる。
すると男性が「じゃああなたの家まで送ります」と返したのだけど、そこで私は(え、じゃあなんで一旦この人の家の前まで来たの? 無駄足じゃない?)とか思ってしまった。
しかしそう考えたのは私だけではなく、主人公の女性もやはり「それじゃ効率が悪くないですか?」と聞いていた。
それに対し男性はこう返したのだ。
「意味もなく効率も悪くバカみたいなのがデートだ」
そうなんだ。
28年生きてきて初めて知った、というか好きな人と出かけるからこそ完璧でいきたいと思っていたがそうではないらしい。
実際に同じようなシチュエーションを経験したことがあり、そのときの私はやはり主人公の女性と同じような態度を取ってしまった。
男性の家は私の家の途中なんだから、わざわざ遠回りする必要なくない? 私は良いから全然帰って。みたいなことを言ってしまい、それでも送ってくれた意味がよく分からなかったのだがそういうことだったんだと思う。
更に実は友だちに頼っても良いということに気付いたのもここ1,2年のことだった。
それに他愛のないLINEを自分から友だちに送るということも本当に最近覚えた。
別に友だちに対する意識は今も前もそんなに変わらないんだけど、でもどこまで距離を詰めて良いのかは確かにずっとフワフワしていたかも。
そんな感じで、変に考え過ぎずに全体的にもっと自然体で人と接すれば良いのかということを今日学んだ。
特に恋人などには(この人自分の時間をこんなに私に使っても良いのか…?)などとよく考えてしまっていた。
嬉しいけれど、何かがあったときに責任が取れないからだ。
今思うとそんなことを考えながら接するよりも、じゃあ楽しもう!という気持ちになることができれば良かった。
もしかしたら自分の中に裏切られたら怖い、だから他人には頼り過ぎないようにしよう、みたいな保守的な考えがあったのかも。
そんなことを考えながら、この前競艇場に行ったときにいたとあるおじさんを思い出した。
そのおじさんは1人で「頼むよ!!! 俺の生活がかかってるんだよ!!!」と叫びながら歩いていた。(本当にこういうおじさんいるんだ、とちょっと感動した)
私はそのおじさんを見ながら、(他人に自分の生活を委ねて良いのか…?)と思ってしまった。
いや、それはおじさんの自由なんだけど、でも自分が運命を選択するとはいえそれを決定づけるのはあくまでもボートレーサーたちだ。
ただその一方で、そこまで赤の他人である選手たちを信じられるおじさんが羨ましくもあった。
多分私にとっての竜太みたいな存在がおじさんにはいっぱいいるのだろう。
だからお金を沢山突っ込むことができるのだ。分からないけど。
このまま竜太の話を続けようと思ったけど、眠すぎなので寝ます。