こんばんは!
家系ラーメンと同じくらい菅田将暉くんが好きな森木です。
先週、というか公開の翌日に『生きてるだけで、愛。』を観てきました。
テーマが"精神疾患×落ち着いた恋愛"とどストライクなのに加え、菅田将暉くんが出ていたのでこれは私のための映画でしかないと思ったのです。(そんなことはないよ)
※ここからネタバレ※
内容を超ざっくり説明すると、過眠症でうつ気味の趣里さん(寧子(やすこ))と雑誌ライターの菅田将暉くん(津奈木(つなき))を中心に、あまりにもリアルすぎる現実が描かれた作品です。
中でも1番印象に残ったのが、寧子が言っていた「生きてるだけで疲れる」というセリフ。
これって"普通“の人は忘れているかもしれませんが、「砂糖は甘い」と同じくらい超当たり前の感覚なんですよね。
でもたいていの人は、仕事をしたり家庭を築いたりする中でこのような感情は抱かなくなってしまいます。
それが最も表れていたのが、寧子が「ウォシュレットがこわい」という話をしたシーン。
寧子は「水圧が狂って体が切れたりしたらどうしようとか、真ん中に当たらなかったら…とか考えるとこわくないですか?」と言うのですが、バイト先の店長たち(普通の人代表)は「なにいってんの~」と笑うだけ。
そうなんです。普通はこんなことまで気にして生きないんです。
でも寧子は、そういう人たちが気付かないようなことにまで向き合いながら生きている、だから人一倍生きることに疲れを感じてしまいます。
というか本当はちゃんと見つめたら嫌になっちゃうことだらけなのに、ほとんどの人が表面の部分しか見ないようになるんです。
それは、どこかの段階で気付いたからそうするようにしただけなのか、あるいは死ぬまで知らずに生きる幸せ者もいるかもしれません。
だけど、人として健全に生きるための選択だから別におかしいことではないし、かといって現実に向き合いすぎる寧子も変じゃないんです。
ここから5行ほど余談になりますが、私がいわゆる"ちょっとはずれた人"だったときのことをふと思い出しました。
私はしかるべき知識を持った人に正しい対応をしてもらいたくて、カウンセリングを受けに行ったんです。
そしたら薬を出されたんですけど、「薬を飲んでまで社会に適合しようという気持ちにはなれない」と伝えたのに量を減らしてもらえなかったことがありました。
冷静になって考えると、そんなことを言う人は精神科医的にはヤバいんだと思います。
でも当時の性格を変える意思もなかったし、なんか私ってやっぱりおかしいんだと思ってちょっとショックでした。
だけど当時は色んなことに全力でぶつかっていただけで、別におかしくはなかったとこの映画をみ終わった後にスッキリしたんです。
だから「生きるって疲れるんだよ本当は!!!」と言いながら叫びたくなりました。
あと菅田将暉くんは本当に目立ちません。
菅田くんは存在感あるある俳優だからまだよかったけど、一般の人が演じていたらまじで記憶に残らないのではというくらい何もない男でした。
嫌われないように無難な言葉を発し、どこか一線を引いている。もっというと心が死んでいるような感じ。
それは普通の精神ではやっていけないような、”ゴシップ雑誌のライター”という彼の職業にも表れていました。
でも後半になるにつれ、津奈木も寧子とほぼ同じようなところにいるんだなと思いました。
津奈木は寧子になりたくない(嫌だからという意味じゃなく)から、心を麻痺させているんだと。
その瞬間から、「あっ、菅田将暉くん出てんじゃん!!!」ってなりました。
そして趣里さんの演技がもう凄いんです。
起きられなくて目覚まし時計で自分の頭を叩くシーンとか、同じような精神状態になったことがある人だったら「うお…」ってなってしまうほどリアルでした。
あとは、寧子がカミソリを窓から放り投げるシーンと津奈木が同じく窓からパソコンを放り投げるシーンの対比とか、ちょっと皮肉めいていて個人的に好きでした。
寧子のカミソリは拾えば元に戻るけど、津奈木は大事なデータを台無しにしてクビになる。生きている世界と責任の違い。
もう本当に涙腺が爆ぜるくらい泣いて、もっともっと色んなことを感じたのですが、とりあえず心に残っていたことを書きました。
というか津奈木がちゃんと抱きしめるべきところで抱きしめてくれるから、情緒不安定経験者としてはありがとうって感じでした。
とにかくもう人間って、生きるってこういうもんなんやで実は!っていう内容なので、気になる方はぜひ観に行ってください。
私は絶対にもう1回観に行きます。
そして今度は観た直後に感想を書きなぐりたいと思います。
以上!!!