こんにちは!
今半に行ったら3回くらいおしぼりの交換があって感動した森木です。
先日、友達と夜ご飯を食べていたときに、豊田真由子議員のことが話題に上がりました。
内容は、「このハゲー!」がネタとして消化されるのはおかしいのではないかということ。
テレビやYouTubeで「このハゲー!」や「ちがうだろー!」がしばし笑いの要素として扱われていて、それを見るたびに私は嫌な気持ちになってしまうのです。
誰かの過ちを上手く扱ってくれる皆さんの寛大さは良いです。豊田真由子議員からしたら。
だけど秘書側の立場に立つと、自分が傷つけられた言葉がそうやって"良い風"に使われているのって不快じゃないですか。
だから私は許せん!と思ってしまいます。
そしたら友達が「今やってるACのCMってそういうことだね」と言っていて確かにと思いました。
皆さんはこのエピソードを聞いてどう思いましたか?
そうかもねと思ってくれる人もいれば、そんなこと気にしなくても…と思う人もいるかもしれません。
私も去年だったら絶対にネタとして使っていたし、誰かがそうしていてもケラケラ笑っていたでしょう。
つい最近まで私からしたら大人はつまらない存在でした。
なんか凄く慎重だし、保守的というか冒険ができない人が多いように感じたからです。
でもこの一連の流れを客観的に捉えたときに、(あれ、これって私がいつか見た大人だな?)と思いました。
経験を重ねた上でついた分別が、言葉とか行動、思考にあからさまに表れる感じです。
社会に出たときに、大学生のときは想像もつかなかった衝撃はたくさんありました。
それを"つまらない"の一言で片づけてはいけなかったし、むしろその裏には”それだけの経験"があるんですよね。
とか言うけど、やっぱり自分つまらなくなったなぁと思ってしまいます。
圧倒的無敵だった大学生の私が言わせてみれば、面白いと感じたら楽しみなよって感じでしょう。
ただ世間のおじいちゃんおばあちゃんを見ていると、この許せなさすら上手く扱える経験をいつかするように感じます。
そうなったときが真の大人ですよね。
①無敵時代⇒②分別時代、で大人ではなく、この先の⇒③まぁなんでもいいじゃん時代にたどり着いたときが私の中での大人です。
以上!!