森木製菓

果たして社長になれるのか!?

田園都市線を降りて、ラオスにやってきた

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「良かったらラオスの仕事手伝ってくれない? 飛行機のチケット取ってあるから、1度遊びにおいで」


社会人になってから1年半の、ある夏のはじめのこと。

そろそろ仕事を変えようか悩んでいたときに、知り合いから予想もしていなかったお誘いがあった。


すでに飛行機のチケットを予約したなんてふつうだったらあり得ないこと。

けれど、前から興味のあった「広報」の仕事に携われると聞いて、私は2ヵ月後には仕事を辞めて思い切ってラオスに遊びに行ってみることにした。

…っていうと聞こえが良いかもしれないけど、実は同行する母と祖母が予約してくれた、ラオスの前に寄る“タイの良いホテル”が楽しみだったのが1番の理由だ。

あと象に乗ること。そして、船に乗ってナイトマーケットに行くこと。全部タイ。

それと毎朝毎晩田園都市線にぎゅうぎゅうに詰めこまれていた生活に、ちょっとだけ彩りもつけてみたかった。

早く帰りたかったラオス滞在


今まで海外は欧米にしか行ったことがなかったから、東南アジアって何なんだかよく分かっていなくて、食べ物とか衛生面とか心配なことが色々あった。

楽しみだったタイは私が思っていたよりもずっと発展していたけど、ラオスはこんな感じかぁという印象だった。

朝起きて、ホテルのカーテンを開けたときに飛び込んできた、ほこりっぽくて低い建物しかないあの光景はいまでも覚えている。

そこから2週間弱のラオス滞在がはじまった。


初日はざーざーぶりの雨の中、1日もかからずにできる市内観光をして、翌日に私が働く予定の事務所に連れて行ってもらった。

やっぱり建物はちょっと頼りなくて、自然災害がおきたら今にも壊れてしまいそうだった。

アリが机の上にたくさんいて、それから私のパソコンの上を横切って行った。

「トイレは綺麗な方だよ」って言われたけど、それでも東京の公衆トイレのような感じ。

あー早く帰りたいと、招待していただいたのにそんなことばかり考えていた。

水道水も飲めないし、デング熱狂犬病も怖いから。


ラオスにいる間は首都ビエンチャンにいただけでなく、地方を訪れたり、色んな人と交流したり、ナイトマーケットやマッサージに行ったり、意外と楽しい半分バカンスのような日々を過ごしていた。

念願の広報系の仕事もできた。ちゃんと自分の目でたしかめたことを文章にしたり、映像を制作したり。

こういうことをするのは学生時代からのあこがれだった。

掛け持ちしたライターのバイト、高校から大学まで続けていた映画サークル。全部がようやく、いや思ったよりも早めにつながってくれた。

それに、今まで行った国の中で、ごはんが1番美味しいという発見もした。

人も優しくて、道に迷っていたら近くにいる知らない人たちがみんな一緒になって教えてくれた。重いものを持っていたら誰かが手伝ってくれた。

電車がないから誰も急いでいない。

不便だからこそ、その分みんなで助け合ってゆったりと生きている素敵な国だった。


そしてあっという間の10日間が過ぎ、やっと日本に帰れることになった。

住めば都で後半はちょっと楽しかったし、ラオスの魅力も分かったけれど、事務所のスタッフとお別れの挨拶をするとき、もう本当にこれが最後なんだろうなと思った。

綺麗で安全な東京に戻れる。それだけが待ち遠しかった。

あと、うちで飼っているハムスターのそらくんと4匹のアカヒレに早く会いたかった。

恋しかった東京に戻ってこられたはずなのに…


帰りは行きと同じ、バンコク経由で成田空港について、それから成田スカイライナーで渋谷まで移動した。

渋谷は大学時代に毎日のように通っていた街だ。ファッションとか華やかな夜に興味があったわけじゃなくて、家から遠くないし、便利だからなんとなく好きだった。

電車もバスもタクシーもあってどんな場所にも簡単に行ける。それにご飯やお酒が美味しいお店がいっぱいある。


でもいざスカイライナーを降りて、そんなに大きくもないスーツケースをひきながらいつものバス停まで歩いていたら、なんだか急に心が寂しくなった。

もしも私がいまラオスにいたら、階段を上り下りするとき、誰かが声をかけてくれた。

もしも私がいまラオスにいたら、看板じゃなくて、人が道を教えてくれた。

もしも私がいまラオスにいたら、後ろの人から無言で急かされることもなかった。

もしも私がいまラオスにいたら…


あんなにずっと帰るのが待ち遠しかったのに、いざ着いてみたら「あー帰ってきちゃった」ってほんの少し、心のどこかで思った。

でも働くなら絶対に東京がいい。

だって、オフィスは綺麗なところが良いし、通勤も楽にしたいし、お給料もある程度もらいたいし。ただし田園都市線沿いじゃないところ。

あとは欲しいものはクリックだけで買えた方が便利だし、コンビニでおにぎりやからあげクンを買いたいし、服や化粧品だって色んなものから選びたい。

それに友達にすぐに会えなくなるのは嫌だし、彼氏とも色んなところに出かけたいし、家族とはなるべく一緒にごはんを食べたいし、最期までそらくんと4匹のアカヒレの面倒を見たい。

それだけじゃなくて衛生面や治安だって心配だった。


だから知り合いからの「どう?このまま働かない?」に対しては、ありがたい話だけれど、しばらく待ってもらうことにした。

なんだかんだで恋しくなっているものの、どうしてもそこで生活をするとなると一歩踏み出せない自分がいた。

だってもしそのままラオスで働いたとして、その後はどうすればいいと思う?

日本の職場に戻ったらどんな仕事をする?そもそも仕事は見つかるの?家にお金は入れられる?あとは結婚も…。

田園都市線が私をラオスに連れて行った


それからあっという間に1週間が過ぎた。

早く返事を出さないとと思いながら、その日の私は田園都市線に揺られていた。

いつも通り、人が圧縮された田園都市線の急行。


乗り換えのために渋谷駅で降りて、そして一気に体が冷たくなったのを感じた。

閉めたはずのカバンが開いていて、お気に入りの恐竜のピンがついたCOACHの財布がなくなっていた。

カバンをひっくり返してもない、自分が立っていた位置を見ても何も落ちていない。


私がぼんやりと今後について考えている間に、財布はどこか知らないところに行ってしまった。

遊園地に行く途中だったから、お金もそれなりに入れていた。免許証もクレカもキャッシュカードも全部入ってる。神社で引いた大吉のお守りも。


失ったものは大きかったのに、警察に行ったその後に会った友達に「よくそんなに冷静でいられるね」って言われたほど、いやに落ち着いていた。

「だってもう泣いても喚いても戻ってこないんだもん」と返した。

そう、どんなに足掻いても大好きだった財布は戻ってこないのだ。

でもこれから対策をすることは出来る。

カバンは閉めていても前に抱える、財布はカバンの奥底にしまう、そして田園都市線には乗らない。

ラオス行きを決断したのは、ほんとに些細なことだった


田園都市線ユーザーになって6年が経過していたが、あの満員電車、イライラしている人、すぐに発生する遅延…など積み重なっていた色々な嫌な思いが、その一件で爆発し、私は本当に田園都市線が嫌いになった。

でも私の家の近くには田園都市線の駅しかない。


だから私はそれからすぐに、知り合いに「ラオスでお仕事がしたいです」と連絡した。


私の中では大きな”決断”だったけど、でもこんな小さなことで仕事も将来も決めてしまったのだから、日本に戻ってきたときから「また行きたい」って本当は思っていたのかもしれない。

綺麗なオフィスも快適な通勤もまぁいいや。お給料は副業かなんかでカバーしよう。

服や化粧品は日本にいる間に買い占めておけばいい。

友達や恋人、家族との時間が減るのは寂しいけど、ずっとラオスにいるわけじゃないし、何回か帰ってこられるし。

そして、ハムスターのそらくんと4匹のアカヒレの世話は、母が引き受けてくれることになった。


ケージの中で元気に動くそらくんをしばらく見られなくなるのは寂しいし、何より私が飼ったのだから最後まで自分でお世話をしたかった。

大きな心残りはその1つだけ。あとは全部解決策があるものだった。

決めるべきことがあまりにも大きなものだから、色んな言い訳を考えていただけのようにも感じる。

もしかしたら人生ってそういうことだらけなのかもしれない。

田園都市線で起こったあの出来事が、私の決断は間違っていないよと後押ししてくれたように思う。


今はラオスでの仕事に携わらせていただいてから半年が経つが、良い人たちと美味しいごはんに恵まれて、風をあびながらトゥクトゥクの振動に揺られ、快適な日々を過ごしている。

仕事もとてもやりがいがある。やりたかった広報の仕事もそうだし、大学時代に勉強していた英語も使えて、プロジェクトの担当にもなれた。

そらくんもアカヒレも母のおかげで元気に生きている。

この生活を教えてくれた知り合いにも、ラオス行きを手伝ってくれた家族にも感謝でいっぱいだ。

そしてまだ、財布も盗まれていない。



#「迷い」と「決断」

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【blu-O】ラオスにも綺麗なボーリング場があるって知ってました?

サバイディー!
朝食はヌテラを塗った食パンに、オレンジジュースな森木です。



先週末、友だちとボーリングをしてきました!

ラオスにボーリングなんてあるの??と思っている方もいるかもしれませんが、かなり綺麗なボーリング場が1件あるんです。

『blu-O』という名前で、ビエンチャンセンターというショッピングモールの中にあります。

近くを通ったことはあるのですが、行くのは今回が初めてでした。


私もまさかビエンチャンでボーリングを楽しめるとは思ってもみなかったから、結構ワクワクしながら行ってみると…


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結構ちゃんとしてますよね。

ボーリング場に入って真っ先に抱いた感想が「結構ちゃんとしてる」っていうのも変な話ですが、でもラオスのアレなんであまり期待していなかったのが正直なところです。


さらに感動したのが、少し奥に行くとオシャレなバーカウンターがあったこと。


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しかも靴も借りられて、靴屋さんにあるような"足のサイズを測るやつ"でちゃんと合ったものを出してもらえます。


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のはずですが、いざ履いてみたらだいぶブカブカだったのはラオスらしかったです。


レーンは全部で8レーンあって、ボールも色々な重さから選ぶことができます。


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あと写真は撮っていないですが、小さい子用のボールを転がす滑り台みたいなのもちゃんと用意してありました。


そして久々のボーリング1ゲーム目。

元から才能は無かったのですが、今回もガターを繰り返し、スコアはわずか50


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誰1人として3桁にいくことのない、どんぐりの背比べのような戦いでした。

そして2ゲーム目、3ゲーム目も同じような点数で終了。

途中レーンに足を踏み入れてしまい、すってんころりしたりしながら楽しい時間を過ごしました。

というかレーンってめちゃくちゃ滑りますね。

小学校のワックスに塗りたての教室の床の比じゃなかったです。


ちなみに料金はラオスにしては少しお高めで、休日は1ゲーム42,000kip(=500円ちょい)でした。

これに靴代が10,000kipプラスされる感じです。

日本のボーリングとあまり変わらないですね。


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ラオスはお昼を10,000kipで食べられるので、お客さんは沢山来ていたのですが、やはり値段的にか1ゲームで帰る人が多かったです。

平日の会員価格なら26,000kip(=300円ちょい)なのでそっちにするとだいぶお得。


そして帰りは謎の着ぐるみがいました。


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手の部分が鍋つかみになっていたので、どうしてそこだけ手を抜いたの⁉と不思議な気持ちでした。(手だけに)(は?)


という友達とボーリングをして楽しかった1日でした。

村上春樹ですら「いったい何があるのか」という疑問を抱くラオスですが、最近は結構色々ありますよ。

また他にも行った場所をシェアしていきますね。

とりあえず今日はここまで。


以上!!!



ラオスで働いてるけど、やっぱり日本が良いと思う

サバイディー!
久々にゆっくりしている森木です。



さて、今日はこのブログだからこそ書けることを書いていこうと思います。

それは「現在ラオスで働いているけど、ずっといようとは思わない」ということ。

他のSNSやブログだと、現地滞在の方が読んで下さっているからやっぱり書けないし、日本にいる友だちに聞いてもらうのもなんだか申し訳ないので、やっぱりここがちょうどいいなと思った次第です。


もうご存知の方もいるかと思いますが、私はラオスと日本を行ったり来たりの生活をしています。

だいたい2~3ヵ月に1回のペースで動くのですが、今年は半年以上はラオスで過ごすことになりそうです。


仕事内容はここでは詳しくは書けないけど、とあるプロジェクトの担当をさせていただいております。

日本人というだけで部署の上の方にいて…といっても小さな部署だから人事、経理、広報、販売戦略などなど…もうほぼなんでも屋さんに近い感じで色々やっています。

私以外はみんなラオス人スタッフで、英語が喋れる人が数名いるから、コミュニケーションは英語のみ。

私はまだまだラオス語が分からず、その人たちがいないと結局は何もできないので、本当にスタッフ様様です。

というかこうやって書くと、私めっちゃカッコいいじゃん。


という自惚れはさておき、そんな感じで日々働いています。

そうして仕事をしているときに思うのが「人間らしすぎると発展の速度は遅くなるんだな」ということ。

例えば人材に関して、プロジェクトだからどうしても使えるお金が限られてきて、将来的には今いる人だけでなくて新しく来る人たちも不自由なく暮らせるようにお金を生み出していきたいのだけど、でもそのためには今は良い人材だけを確保して少数精鋭でやる必要もあって、時に残酷にもならねばなりません。

なので「この人を切ろうと思う(あるいはお給料を減らそうと思う)んだけど…」とスタッフに伝えると、「でもそれはその人にとって、あんまり嬉しいことじゃないよね」と返されたりします。


いや、本当にそれはおっしゃる通り。

だって私とか家族が切られる側だったら嫌だし、こちらとしても今まで関わってくれた人に辞めてもらうのは超つらいです。

でも将来もっと良くなることを考えたら、今の人員だとねぇともどかしくなります。


ラオス人は本当に優しくて、自分への見返りなど求めずに助け合いながら生きているように感じます。

例えばリーフアイっていう、グループで「今月はAの人にBとCが5,000円、来月はBの人にAとCが…」とお金を貸し合う制度があったり、年上は年下を助けるもの、家族には仕送りをするものなど…。

その考えって凄く人間らしくていいし、なんならそこに惹かれてラオスで働くことを決意したのですが、こうやってプロジェクトとして携わったとき、ラオスの発展がスローペースである理由が分かりました。

要は日本人にある冷たさが全然ないんですよね。


日本にいる間は「日本人まじ冷たい!許せん!ラオスは素敵!」と思っていたものの、今は快適に生活をさせてくれる日本ありがとうという感じです。

まぁ比較対象がラオスと日本だけなので、もっとバランス良くやっている国もあるかもしれません。

しかしラオス人は講習会に参加するときに、そこに来るまでの交通費や給料を求めてきたりもして(というか払うのが当たり前)、それもやはり人間らしいっちゃ人間らしいけど、そんな姿勢じゃより良くはならないよと思います。


今も街は中国の建設会社がいっぱい入ってきてるし、アイデンティティはどうしたの、こんなに良い国なのにもったいないなぁと感じている次第です。

そもそもラオス人は「その日良く生きられればいい」っていう感じ"らしい"ので、私みたいな考えは余計なんだろうけど、日本人だからかやはりどうしてもこういう考えを持ってしまいます。


でも私はラオスラオス人も大好きですよ。

だから結婚しても旦那が許すのなら今の生活は続けたいし、素敵なラオス人がもっと良く生きられるために自分が出来ることはやっていきたいです。

ただずーっといたいかと聞かれると、やっぱり医療設備とかを考えるといつかは日本に戻りたいと思っているから、この生活に慣れてしまうのも良くないなと思っています。


あといかんせんラオスの日本人コミュニティは狭すぎる。

そもそも私がいるビエンチャンはそんなに大きくないので、街まで出ると絶対に誰かに会うし、日本人は少ないからその分集まったり親密になりやすいんですよね。

日本人コミュニティの中でも2種類の人種がいると私は思っていて「日本で生きづらいからラオスに来た人」と「仕事のためにラオスに来た人」のどちらかです。

私なんかは後者になるので、どうしても前者の人とは何か違う感じがするから、考えや話しを聞く分にはとても良いんだけど、でもそんなに関わらないようにしてしまいいます。


だって私がラオスに来た理由が、

ラオスのゆったり感が好きだから
・まだ発信のしがいがある(=ブログの収益になりやすい)から
・自分の時間を確保しやすいから

と、ラオス「私のこと、都合の良い国だと思ってるんでしょ⁉」と言われたら「いやそうだけど、でも好きだよ」と答えてしまう感じの結構自己中心的っちゃ自己中心的なものだからです。

だからそういう面で、日本人コミュニティに入り浸りすぎるのも避けたいし、一部の人とは合わないんだろうなぁと思います。

もちろん考えが合いそうな人とはよく出かけるし、飲みにも行きます。


と考えると、今日本とラオスを行ったり来たり出来ている暮らしは最高なわけです。

でもこれもいつまで続けるか、最近たまに考えています。


こんなこと現地に住んでいる人には絶対言えない!という内容を書きました。

ただ変わらないのはラオスラオス人も好きである」ということ。

一方で生活することを考えたら「まだまだ不便」だし「コミュニティ狭すぎ」なのです。


もしかしてもっと自分にちょうどいい国があったりして。

とりあえずはラオスで時間を確保しながら、どこにいてもお金を稼げるようにしていこうと思います。

そして何より今はプロジェクトを頑張ります。


以上!!!



面接官ってなんであんなに偉そうだったの???

サバイディー!
美容院で髪を洗ってもらった森木です。



タイトルの通り「面接官があんなに偉そうだったのまじ分からん」という感情に今襲われています。

私が就活をしていたのはもう3年ほど前の話になりますが、当時は面接官様様、気に入ってもらえるような回答をしなければ!と、とても必死だった記憶があります。

私に限らず、きっとほとんどの就活生がそうですよね。


でもここ最近、その面接官の役割をする機会がちょくちょく増えてきて思うのは、採用を判断する側も希望する側もほぼ対等の立場であるのではということです。

といっても人事部でもなんでもなく、ただプロジェクト担当だからやらざるを得ないという感じだし、なんなら相手はラオス人なので、もしかしたら一般的な考えとは違うかもしれません。

それに確かに『就活講座』みたいなので「面接といっても相性を確かめているだけだからね」というのを聞いた記憶があります。


でも実際にいざ面接に行ってみると、だいたい威圧的じゃなかったですか?

アレの何がいけないかって、面接官が一方的に質問していることなんですよね。

もちろん選ぶ側なので、適切な人材であるか、あるいはどのポジションに配属すれば良いかなどを知るためにも色々聞かないといけませんし、それは分かります。


でも問題は最後にあって、「こちらからは以上です。何か質問ありませんか?」っていうあの聞き方本当に良くない。

私も最初はその流れで面接をやってしまったんだけど、「じゃあまず初めは私からいくつか質問します。~~~。では今度はそちらから質問をどうぞ」って言ってもらうだけでだいぶ変わりますよね。

こちらとしても来るものは拒みたくないので、なるべく採用したいという気持ちで色々聞くし、それでも良いポジションが空いてなかったり、雰囲気的に違うなぁと思ったらどんなに人が必要でもお断りします。

同じように、採用される側でもなにか認識の違いはないか、条件は自分の望んでいるもの通りか、など働き始めてから「おや???」と思うことがないようにガンガン聞いて欲しいです。


けれど、その雰囲気づくりができていなかった面接官や、そもそも「面接官に熱意を示すために~」のような間違ったハウトゥーがあちこちで見受けられたので、なんとなく就活生は必死にならなきゃという勘違いをするようになっていました。

もし闇の就活時代の私に何か伝えられるなら「相性が悪いと思ったら無理しなくていい」と言いたいです。


あとこれは余談になるけど、結局重視するのって最低限の条件とあとは性格ですよね。(私だけかも)

"超優秀で条件以上の人材だけど偉そうな人"か"完璧にできるわけじゃないけど条件も満たしていてニコニコしてる人"だったら後者を選んでしまいます。


そんな色々な発見を最近している今日この頃でした。

今面接を受けたらもっと強気で行けるかな。



以上!!!



オシャレなパスタ屋とおじさん好きについて

サバイディー!
今日は雨が降らなくて嬉しかった森木です。


昨日の記事で「明日は日曜だけど特に誰かと出かける予定はないしんよー」ということを書きましたが、あの後嬉しいことに友達からお誘いがあったので、街中でランチをしてきました。

行ってきたのは、「The State Of Pasta」というパスタ屋さんです。


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2017年にオープンしたお店で、店内が広々としていて綺麗でした。

私はPink Divaというトマトとホワイトクリームのパスタを注文。


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パスタの種類とソースの組み合わせを選べるし、無料でパンみたいなアペタイザーもついてきて、ラオスっぽくなくてオシャレな感じです。

パスタはだいたい500円前後、飲み物は約200円で楽しめます。

ラオスでのお昼にしては割高ですが、その分味も美味しいのでまた来ようと思いました。


eatdrinklaos.com

↑店内の様子などもこちらで見られます



それで話は変わりますが、最近の私はこうなんだかおじさんに心惹かれる傾向にあるんですよね。

40代とか50代とか、下手したらほぼ父親と変わらない年齢の人にです。

なんなら「あ~素敵」と思った人たちは、結婚していて子供もいます。


それで今まで好きになるのはだいたい年下だったので、意外とおじ専なの…?と思っていたのだけど、今日その友達と話していて「ただ余裕がある人が好き」であるということに気が付きました。

そうなんです。友達が女の子なので恋バナにもなって、そこで「安定した恋愛がしたいよね~」みたいな話をして、やっぱり妻子持ちだと心に余裕があることが多いので、その姿に魅力を感じていたんだなぁと。


でも独身でそれ相応の余裕がある人ってなかなかいないですよね。

ましてやラオスなんか余計に…というかいても入国した瞬間に捕まえないと、すぐ他の人に見つかってモテてしまいそうな感じがする。

けど私にはそこまでのガツガツさがないので、やっぱり身近なおじ様方に日々心を癒されていようと思います。


そんなわけで明日の出勤が楽しみです。

以上!!!



【ラオス】ビエンチャンでとんこつ醬油ラーメンを食べました

サバイディー!
雨が降ってばかりで勘弁してほしい森木です。


本日は土曜日ですが、所属している団体でイベントを開催していたので、午前中はそのお手伝いに行ってきました。

別の部署が実施しているものだから別に行かなくても良かったし、なんなら日本にいるときは「残業や休日出勤はしたくない」という意志を誰よりも強く持って生きているのだけど、ラオスにいるとソファーに座り飽きるほどに暇な時間が多いので積極的に出向いてしまいます。


そしてそのイベントは無事に終わり、ただあまりの暑さで水分がほとんど出ていってしまったので、道端で売っているパイナップルを買ってから事務所に戻りました。

写真は撮り忘れてしまったのだけど、高さ15㎝くらいの剥きパイナップルが10,000kip(=約130円)で買えます。

大きさの割に安いし、味も甘くて、5人くらいでシェアハピして食べました。


それから、職場の3人でお昼のラーメンを食べに行くことに。

「WALAO」というラーメン屋さんで、街よりほんの少し外れたところにあります。

メニューは、基本の醬油から味噌、とんこつ醬油など様々な種類がありました。

枝豆や冷奴など居酒屋的な料理もあったけど、「お酒を飲みたくなりそうだからやめよう」という懸命な判断により、今回は諦めることにしました。


そして私は家系ラーメンで育ってきた人間なので、迷わずとんこつ醬油(約500円)を注文。


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心のどこかで(まぁラオスのラーメンだし、そんなに期待しないでおこう…)と思っていたものの、食べてみると普通に美味しい。

ビエンチャンで本格的なラーメンを食べられると知ったことで、私は生きるのがだいぶ楽になりました。(良かったね)


それからは解散して…そう、そのラーメンを食べに行った3人のうちの1人が私の推し上司(おじ様)なんですけど、なんか散るときって普通「じゃ、また来週」みたいなのがあるじゃないですか。

でもそういうのがなく、いつもすぐに自分の生活に戻っていくので、私ってそういう猫みたいな人に心惹かれる傾向にあるようです。

凄くどうでも良かったですね。なんか恥ずかしくなってきちゃった。



そうして今に至ります。

ちなみに夜ご飯は、最近お付き合いの食事が続いていてシンプルなものが欲しかったから、野菜と卵のスープで済ませました。

明日は日曜日だけど、特に誰かと出かける予定も今のところはありません。

家でぼけっと過ごすのもアレなので、やることをやったらフラフラと適当に冒険して来ようと思います。


以上!!!



ラオス人と飲んでたら一生結婚できない気がした

 

サバイディー!

いや、もうサバイディーどころじゃない。

 

いつもはパソコンから更新しているのですが、立ち上げる時間も惜しいのでスマホから更新しています。

 

まず、私は今めちゃくちゃ酔っ払っています。

アホみたいに飲んでいた大学生ぶりの良いです。(御歳25歳)

なんでかというと、ラオスの偉い人に飲みに誘われて行ってきたからです。

 

その人は、私が現在携わっている地方のプロジェクトの…そんな難しい話はいいですよね。

とりあえず仕事で関わりがある地位のある人なんです。

 

それで今日、仕事の関係で、私たちのいる首都ヴィエンチャンに地方から来てくださっていたんですよ。

初めて彼に会ったのは、たった3ヶ月ほど前ですが、元から周りからの評判が良く、実際にとても素敵な方だったので私は秒でファンになってしまいました。

 

そんな推しラオス人から、今日やっと電話番号を聞いてもらえたんです。

仕事終わりのお昼の時間に、ラオスの番号があったら教えてって。

でも私は仕事用のガラケーよりも原始的なNOKIAという携帯の番号しかなかったので、そちらを伝えました。

 

そのままお話していると、どうやら彼は2,3日ヴィエンチャンに滞在するということが分かりました。

それを知った私はあわよくばという気持ちで、「ヴィエンチャンに滞在している間は何をするんですか?」と聞いたんです。

けどやっぱり返ってくるのは、「色んな人に会いに行くんだ」という感じで、まぁ私みたいな若造なんて相手にもならないよなぁとなんとなく思っていました。

 

その時は、ランチをしてそのまま解散です。

けれど仕事が終わってしばらくしたときにふと携帯を見たら、「夜出かけませんか?」っていうメッセージが来ていたんですよ。

しかもお昼に解散したすぐ後にです。

 

ガラケーより原始的な携帯の画面にカクカクの文字でそんなメッセージが来ているのもそうだし、何より周りの気を使ってかその場で言わなかったことに対して、私は1096284年ぶりくらいにトキメキとエモみを感じました。

正直金曜日だし、あり得ないくらい疲れていたけど、その文面を見た途端、土曜のお昼くらいの体力を取り戻し、私はいくことにしたのです。

 

ただ職場の人から「さすがに2人きりは危なくない?」って言われて、よく考えたらそんな気もして会う前はちょっとドキドキしていました。

でも実際に会ったら全然危険なことなんてなくて、まぁラオス人に特有の必殺お酒勧めにより2人でワインのボトルを空けはしましたが、最後の方は「辛かったら無理しないでね」って感じの普通に良い人でした。

 

食事も結局全て奢って下さったし、何よりその後ですよ。

その人が泊まってるホテルと私の家が反対方面だったから、別々に帰ることになって、それでトゥクトゥクっていうタクシーみたいなのを捕まえることになったんです。

 

そのときにトゥクトゥクのお代まで払って下さったあげく、運転手の電話番号と名前を聞いて「ちゃんと送り届けてよ」って言ってる姿を見て私は本気で恋する0.3秒前くらいまでいきました。

だって25歳にもなるとここまでしてくれる人、当たり前だけどなかなかいないんですよ。

 

でも彼は思い返せば、私が地方に行って夜一緒に飲みに行ったときもゲストハウスの玄関まで送って下さったし、今日も特に家族の話をするときの言葉の端々から真面目さを感じることができました。

そんな推しラオス人を見ていたら、もう一生これ以上素敵な人に出会えないのではと思ってしまいました。

 

食事中も私はボケーっとしていて気付くのが遅いのですが、食事を取り分けるのも水を注ぐのも偉い人なのに率先してやって下さって、もうおあああああううううあーあーおーうええー

とにかく私は将来彼みたいに純粋で気配りができて、健全な考え方の人と結婚したいと思いました。

 

あるいは来世でもう菅田将暉くんの彼女より彼の奥さんになりたいです。

そんな素敵すぎる人との最高の花金の話でした。

 

夢に出てきますように。

以上!!!