こんにちは。
チョコレートをいっぱい食べた森木です。
今週の火曜日にいつものごとく百獣の王の彼の出待ちをしたのですが、そのときに「オレのどこが好きなの?」って聞かれたんです。
私は緊張していて喋るのもやっとだったのですが、いつも楽しそうにしている姿が好きでとかそんなことを答えました。
それでついさっき疑問に思ったのですが、私も今すごく楽しい人生を送っているのにどうして彼のそういうところに惹かれるのでしょうか。
例えば私がものすごくつまらない日々を送っているとしたら、そういう楽しそうに生きている人に憧れを抱くのは分かりますが、私自身もすごく楽しいのに百獣の王の彼を見ていいなって思うんです。
で、考えてみたんですけど、百獣の王の彼と私が一時期盛り上がっていた坂上忍の好きなところであり、彼らの共通点でもあるところってやっぱりいつも楽しそうでよく笑うところなんですね。でももう一つ言えるのが、二人とも苦しい過去があったというところです。
私が勝手にそう思っているだけで本人たちからしたらどうなのかは分かりませんが、今日は森木の頭の中のことなので私が思うままに書きたいと思います。
だから、もしも百獣の王の彼が生まれた時からずっと幸せで楽しそうにして、今みたいな日々を送っていても絶対に好きじゃなかったと思います。肉体がアレなのでそのへんで好きになるかもしれないけど、多分3か月で飽きます。
いや違う。私は武井さんに出会って筋肉質な男に目覚めたからそもそも好きにすらならなかったかもしれない。
ちなみに高3までは中肉中背のくたびれたサラリーマンが好きだったんです。この情報いらないですね。
何が言いたかったのか忘れちゃいましたけど、つまり武井さんを見ていると励まされるというか、武井さんにもこういう過去があったんだ、ちゃんと頑張れば成功できるんだってそういう気持ちになるんです。
森木の将来は黒い服をまとって毎朝同じ時間に出勤して退社してみたいな感じではないし、その分それなりのリスクを伴こともあるかもしれないから、余計励みになるんだと思います。
武井さんも働いてはいたけど就職はしなかったみたいだから。参考になるっていうのが一番近いのでしょうか。
だから多分、今もすごく楽しいけど、将来も武井さんみたいな大人でいられたらいいなって思うからこうやってキラキラした目で見ているんだと思います。
次は私の思う幸せ論について。
高3の林間学校みたいなので幸せについて語る時間があったんです。宗教っぽいですね。
みんなは事故にあったこととかつらい過去とかそういうのがあったから今は幸せだって言っていました。分かります。
で「森木ちゃんはどんなときに幸せを感じるの?」って聞かれたので「お腹が空いたとき!」って答えました。
だから最低でも1日に3回は幸せを感じているワケです。いや、もっとお腹は空いてる。
何が言いたいかっていうと、お腹が空くっていうのは健康であるっていうことなんですよ。
腎盂腎炎になったときにお腹は空かないしウィダー1本も飲みきれないことがあったんです。
そのときにお腹が空くって幸せなことなんだなぁと思いました。
あと友達がいて、その友達が色々な話をしてくれたり遊んでくれたり自分の話を聞いてくれるっていうのもすごく幸せなことだと思うんです。よく「自分の好きなことばっかり話しちゃってごめんね」って言われることがあるんですけど、でも好きなことをシェアしたいって思ってくれるのも嬉しいことだから、何言ってるか分からなくて微妙な返事になることはあるけど良いことだと思います。
あと私は膀胱炎になりやすいので、その辺を気にせずに過ごせる日も幸せを感じます。
他にもいろいろあるけど、そうやって考えると幸せって簡単に感じられるんです。
幸せの価値は人それぞれなので、私がこうやって書いたことを見て「そんなの当たり前のことだ。ワタシはその程度で幸せを感じるような人間じゃないんだ!」って思う人ももちろんいるでしょう。
それはそれで構わないけど、幸せに制限はないから感じられるだけ感じた方が楽しいと思います。
でもやっぱり幸せすぎるとこわいってときは、その分つらいときに思いっきりつらさを感じればいいと思います。
あと、森木がお部屋大好きだったときに書いていた闇ポエムを読み返してみると「~しなければいけない」とか「私は~でなければいけない」とかそういうのばっかりだったんです。だれも望んでいないのに勝手に制限したり決めつけたりして、勝手に苦しんでいたというかもう書くのつかれちゃったんでつまり視野を広げるというかなんでも地球規模で考えれば気楽に生きられるのでまぁそんな感じです。