キョロちゃんは居酒屋のおじさんの話
こんばんは!
足元が寒すぎる森木です。
先ほどキョロちゃん第34話『キョロちゃんがいっぱい』を観ていました。
偶然拾った"分身の魔人"の力によって、キョロちゃんとその友達パチクリくんの分身がどんどん増えていくお話しです。
このパチクリくん、今まで魔人に頼って嫌な目にしかあっていないので、「もう2度と使うもんか!」と冒頭では宣言していました。
だけど頼まれた部屋掃除を始めようとしたところで、遊園地へのお誘いがきてしまい、分身に掃除を任せようということで魔人を使ってしまったのです。
ここで突然の問いかけですが、皆さんだったらこの物語のオチをどういう風にしますか?
「遊園地に行きたいから掃除は分身に任せる」という考えはいかにも子供っぽいですが、この「自分がもう1人いれば」という発想は大人子供関わらずしたことはあると思います。
私だったらこれにどう答えをだすかなぁ…と想像しながら見ていました。
ちなみに私が考えたオチは、「分身の経験は分身の経験であってキョロちゃん(あるいはパチクリくん)本人は何も得ることはないと気付き、結局魔人は捨てる」というものです。
遊園地のアトラクション全部に乗りたいから分身を大量生産するけど、結局自分が楽しめたことしか記憶に残ってないから変わらないじゃん!となるわけです。
絵描き歌を聞きながら書いたのですが、23年生きてきたとは思えないぐらい下手になってしまいました。(これでもキョロちゃんです)
そして実際のオチはというと、『パチクリくん自体が怠け者だから、分身も掃除をしてなくて結局本人がやる』というものでした。(そしてそれに振り回されるキョロちゃんの分身たち)
いかにも”大人が作った”って感じで、なるほど!と思いちょっと感動しました。
もう1人の自分が今の自分以上にしっかりしてくれると思ったら大間違いだよ!と。
子供向けアニメって一見単純なイメージがありますが、こうやって作っている側=大人の考えや経験が盛り込まれていると思うと不思議な感じがしました。
そう考えると、子供向けアニメは居酒屋のおじさんたちの話に該当しうるのではないでしょうか。
おじさんの思考を伝える術が「居酒屋の会話」だったか「子供向けアニメ」だったかってだけです。
今回のキョロちゃんの話を飲みの席の会話にすると、「最近忙しすぎて自分がもう1人いればって思うけど、増やしたところで根が怠けてるから何もやらないんだろうな」になるのかな。
私たちは小さい頃から、子供向けアニメを通して間接的に大人の考えを取り入れていたんですね。
話の内容は子供っぽくても、こういう発見の場を与えられるのは大人だからこそできたことです。天神だからできたこと。
表現の仕方を色々知っていて、発想の転換ができる人がどんどん増えていけば良いなと思います。
以上!!