森木製菓

果たして社長になれるのか!?

伊藤開司の涙

今年1番の衝撃。

レーニングノートを見返したら、スクワットを最後にやったのが約1ヶ月前だった。


今日は脚のトレーニングの日だった。

体調不良でジムに行けない期間があったのと、下半身は下半身でもお尻・ハムをメインにするようにしていたら、普通のスクワットをそれだけやっていなかった。

彼氏へのLINEの返事をついうっかり忘れちゃった☆みたいなことはよくあったが、大好きなスクワットを、しかも1ヶ月もやっていなかったなんて。

2週間前くらいにやったつもりだったから、時が経つのが早すぎて意味が分からなかった。

四頭が泣いている。ごめんなさい。


病み上がりのトレーニングだったから無理はしないようにしたものの、なぜか全体的にいつもより軽く感じられた。

40kgは体感32.5kgだった。

だがフルでしゃがんだら、酸欠によるものかクラクラして気持ちが悪くなった。


ここでやめようと思ったが、ちょっとの体調不良でそこまで体力が落ちるとも思えず、50kgにも挑戦した。

意外といけて安心した。



あとは今日はカイジの沼編(2周目)を見終わった。

何度見てもカッコよく、カイジのことを知れば知るほど泣けてくる。

涙の量だけなら45組に入れそうなくらい泣いた。


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そして同じ涙でもカイジが流す涙は本当に美しい。

私は最近、伊藤開司の涙を飲みたいとまで思うようになった。

他人を想い、心から何かにぶつかり、そして溢れる涙。

どんなアルプスの山々でもあそこまで綺麗な水は流せない。




特にオチとかはないのでキモい所で終わります。





どうせ愛してしまう

弟から「本ありがとう笑」というLINEが来た。

なぜ語尾に"笑"が付いたのかは分からないが、無事に手元に届いたようで安心した。


私は先日、『カイジ「勝つべくして勝つ!」働き方の話』という本を今年社会人になった弟に送りつけた。


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結構グサグサくることも書いてあるが、しかし読みやすく考え方も広がった気がする。

あとカイジがなぜここまで支持されるのかなどについて、仕事を通して解説されているので面白い。

こんな第一線でバリバリ働く人に称賛されるギャンブルジャンキー伊藤開司は、本当にすごい人なのだろう。



それから、部屋にホワイトボードシートを貼ってカイジだらけにしたという記事を前回書いたが、あれだけでは足りずにやはり追加で購入した。

そしてカイジの面積を増やした。


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至福の傍観である。


今でも気が付くと15分くらいこの壁を眺めている。

毎日何度見たって同じ顔なのに、カイジを見ていると幸せな気持ちになれる。


休みの日や仕事が終わった後はカイジのアニメを見ている。

2周目のパチンコ沼だ。

ここ1週間、親の顔より見ている伊藤開司の顔。



ついさっきは、ミスチルのしるしを聴いていたら涙が出てきた。



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「いろんな顔を持つ君を知っている」のもそうなんだけど、最後の「共に生きれない日が来たってどうせ愛してしまうと思うんだ」という歌詞がグッと心に刺さった。

どうして愛し合えないと分かっていながらこんなにも伊藤開司に想いを馳せてしまうのかと悩んでいたが、確かにどうせ愛してしまうのだ。

だから素直にカイジに記憶を埋め尽くしてもらおうと思う。



(ただ友だちに「最近カイジのことが本当に好きなんだ」と言うとみんな「あんな男やめた方が良いよ!」と言ってくれます。

カイジはそんなことないけど、でも良い友だちに恵まれているなと実感します)



大好きが止まらない

好きな人のことってずっと見ていたいと思う。

だから本当はポスターでも部屋に飾りたかったのだが、探せど探せと見つからなかったから自分で描くことにした。


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Amazonで4,000円ちょっとで買った壁に貼れるホワイトボードに。

ワン・ポーカー編と24億脱出編の好きなシーンを描いた。

ホワイトボードだからそのときの心境に合わせて変えられるのが最高だ。


そして私は本当にカイジのことが大好きなので、気が付くと15分くらいずっと眺めている。

同時にだんだんと生きている次元が違うことに対して苦しさを覚えるようになった。

どうあがいても私は彼と一緒に代々木公園を散歩することはできない。

春の暖かい日差しに照らされた彼の横顔を見つめることもできない。


たまらなくなって、私はこりゃめでてーなの伊藤こう大さんが出るライブのチケットを買った。



www.youtube.com


実は中学生のときに大ファンで、何回かライブに行ったことも出待ちをしたこともあった。

ただそのときは伊藤さんのことを伊藤さんとして好きだったが、今は伊藤さんにカイジを求めて会いに行く。


楽しみである。

楽しみであるが、もしかしたら思った以上にカイジすぎてガチ恋しちゃうかもしれない。

そのときはそのときで。




これからの後悔の仕方

AかBかの選択を強いられたとき、そして自分が下したその決断が正しくなかったとき、当たり前のように激しく後悔する。

あのときもう一方を選んでおけば…。

少しでも迷いが生じた上での選択であれば尚更だ。


しかし、例えばそのときにAを選んだとして、Bにしておけば良い結果が待っていたかといえばそれは分からない。

もしかしたらもっとひどい結末になっていたかもしれない。

Aを選んだときの自分にとってBが望んだ結果を運んできていたとしても、実際にBを選択したからといって同じように事は運ばなかったりする。


麻雀をしているとそんな局面に差し掛かる。


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「あのときやっぱり七対子を諦めなければ…」「やっぱりもう一方を切ってリーチにすれば一発だったのに…」

そんな後悔がしょっちゅうだ。


しかし違う牌を切ったら、もしかしたら鳴かれていたかもしれない。

鳴かれることで流れが変わって、それで結果相手に振り込んでしまってしかも三倍満、もちろん逆に自分がもっと良い手であがれることもあるだろう。

だけどそんなことは実際に両方やらないと分からないのだ。

その選択の結果がより正しいものだったかどうかは誰にも分からない。


そう考えると、自分の選択ミスを悔やむのは無意味な心のすり減らし方だと思った。

後悔するとすれば、その選択が自分の中の軸や信念、そういったものを裏切るような判断をしてしまったときだ。

欲が勝って普段では絶対にしないような方を選んでしまったとき、そういうときにその行為を反省する。

良い結果はもちろん大切だが、今後の人生をより豊かにするために、結果そのものよりもその自分の中の軸や信念のようなものを正しく築き上げていくことも重要だ。





生きる理由と後悔

別に無いからどうなるってワケでもないのだけど、理由はあった方がそのものがより濃くなる気がする。

私には明確な生きる理由というものが無かったが、この前の騒動を振り返ると"母親からの承認"がそれに近かったのかなと思う。

しかし他人の判断なんてあまりにももろ過ぎる。


実際、私が生きることを諦めかけたあの2~3時間の間に、その圧倒的原因であった母親の気持ちはコロリと変わった。

向こうにとってはきっとなんてことは無かった。

そんなものを自分の生き死にに絡めるなんて、この先そのままで良いのかと漠然と気になってはいた。


あの後、何人かの友だちが心配のメッセージをくれて、そのおかげでかなり気持ちが楽になった。

前の記事にも書いたけど、やはり友だち・筋肉・ハムスターがこれ以上にないくらい十分な、私にとっての生きる支えだと思った。

理由の方は、たぶんしばらくは母親からの承認かもしれない。

でもそれがまたこの先崩れるようなことがあっても、だから全てが終わったなんてことにはもうならないだろう。



あれから2週間ほどが経つが、それからはあんな衝動に駆られることはなく、かといってすぐに気持ちを切り替えられるでもないからたまにめちゃくちゃ落ちることはあった。

でも自分なりにできる限りで世界を広げ、生きやすいように持っていく。(私が病むときは世界が狭まっているときのため)

ある程度気を取り直し、それから1週間ぶりにカイジの続きを借りに行った。


ワン・ポーカー編の10巻から終わりの16巻まで。

いよいよクライマックス。(※ここからネタバレ)

続きの「24億脱出編」があるから負けはしないと分かっていながらも、その過程の心理戦にハラハラしながら一気に読み終えた。


14巻あたりからは、カイジの本気のぶつかりに3回くらい泣いた。

和也が「眼鏡がないから救いの網が見えなくて目押しできない」というシーンがあったが、私も涙で見えなかった。

あと私も視力が悪いからこういうときにコンタクトが落ちたら…、と思ったら割と他人事ではなかった。


そして16巻の最後の最後、シートからもぞもぞと出てきて「ぷはっ!」と言うカイジの顔を見て、「この人の正しさを証明するために生きたい」という新しい感情を抱いた。

いや、今までも抱いていてそれをうまく言語化することが出来なかっただけか、あるいはただ究極のオタクと化しただけかもしれないが、しかしそんなことを傲慢にも思ってしまった。


カイジの正しさなんて私が証明する必要はない。

それにカイジが同じ次元に生きていたら、そんなことは鬱陶しいと思うかもしれない。

他人の車を傷つけたのは倫理的にどうかと思うけど、でもそれ以外の全てにおけるカイジの言動が私は好きだ。

優しいところ、他人のために泣いたり喜んだりできるところ、信念のために生きそして死ぬことができるところ、本気で生きているところ、恩義を忘れないところ、人をどこまでも理解しようとするところ、諦めないところ、ギャンブルを通して社会人みたいな気付きができるところ、生命力、強運、顔、よく分からない腹筋、いつも着てる服、そのすべてが好きだ。


これはほとんど自己満足だけど、それから私は彼のためにできることを何でもしたいと思った。

これから先の人生、カイジがもしまた一晩で4億をすったりして落ち込むようなことがあっても、違うっ・・・!


今、「鏡となり、そして温かく包み込めるような存在でありたい」って続けようと思ったけど、違うっ・・・!

カイジにそんな安住の地は不要・・・!

むしろ与えてはならない・・・!

それは博打の才がある、ギャンブルジャンキーの彼の芽を踏み潰すような行為っ・・・!(デジャヴ)



が! が! が!

それでもなお、彼の存在を肯定するような生き方をしたい。

我儘であると自覚しながら、探し求めていた"生きる理由"、それを埋めるには十分すぎる根拠・・・圧倒的気付き・・・!



そういえば2ヶ月くらい前に「カイジとアカギに同時に告白されたら迷っちゃう~~~」みたいなことを書いていましたが、その答えは問答無用でカイジです。

ただアカギももちろん好きで、でも彼ぴっぴにしたいっていうよりは一生恋慕や尊敬の念を遠くから抱いていたい。


本当にこんなに好きになると思わなかった。

今となってはあの特徴的な顔面も世界一カッコよく見えるし、カイジがいるからという理由で異性からのお誘いも断るなどしています。

でも正直ちょっとだけ後悔しています。




死のうと思った。でもカイジを思い出してやめた

今日の森木はとてもみっともないです。

みっともないけど、ありのままをなぜか共有したくなりました。


まずタイトルの通り死のうと思いました。

嫌なことが重なって、さらに味方がいなくなったからです。


まず、9月をメドに転職しようと思っています。でも職場には3人しかおらず、1人は今月で辞めるので言いづらいです。

言いづらいし、次に何をしようとかは特に決まっていません。

それなのに職を変えるのは、自立がしたいからです。


今の職場は普通の会社じゃないからしょうがないんだけど、お給料は新卒以下だしボーナスは出ません。

こんなことを言うのはアレかもしれないですが、実家にある程度余裕があったから続けられました。

でも言い換えれば3年間ずっと実家のお荷物でした。



去年からモヤモヤはしていましたが、この前貯金残高を見て決意しました。

とても良い職場だっただけに、お金を理由に転職するのはちょっと気が引けるような気もしますが。

しかも次の目標も特にないし。

ただ大きな組織で決められたことを淡々とこなしたい、という気持ちだけはある。



あとダイエットが順調じゃありません。

摂取カロリーを減らしているのに体重も体脂肪率もメキメキ増えていきます。

大会前の減量のときもそうで結局は乗り越えられたんだけど、それでもつらいです。


それとハムスターが骨折をしました。

体調が悪かったので病院に行ったところ点滴をすることになり、そこで暴れて骨折した可能性が高いです。

怖い思いをさせた上にそんな大きなケガをさせてしまったことがとても心苦しいです。


それから弟が一時的に帰ってきています。

我が家は弟中心です。

特に母は弟が大好きなので、何かと私が悪者になります。

しかしそのことを指摘すると怒られます。


ついさっきは、本当にしょうもないことなんだけど、弟がリビングのドアを開けっ放しにしていたので注意しました。

私も同じ内容で母から注意されていました。

「冷たい風が入ってくるから閉めて」と口を酸っぱくして言われていたので、私もそれをそのまま言いました。

そうしたらそもそも私がリビングで仕事をしていたことを責められました。


そのことが納得いきませんでした。

というか、弟が帰ってきてからこんな感じの腑に落ちない出来事が沢山ありました。

それを一気に思い出し、ただでさえメンタルがボロボロな状態だったので、そうなると私は発狂してしまうのです。



苦しいのと、その今までの我慢のつらさを伝えるために、あとは反対に今後人間でいられるために発狂します。

そして今回の母親はそれでもなお、普通に弟の味方をし、私を100%否定しました。

別にそれが正しい反応なんだけど。

だって同じ部屋にいる人に突然大声で叫ばれたら、うるさくてイライラするし。


だけど、1%も、0.1%たりとも私への理解に労力が使われなかったのが分かり、その瞬間に「あ、ダメだ」というアレが来ました。

死のうと思ったのは今回が初めてではありません。

思うだけなら何度でもあります。

でも今日はその感情がよりリアルだった。


まずは自傷をしようと思いました。

手首を切る、とかじゃなくて中二病みたいなことを言うけど、床に血だまりができるくらい切りたかったです。

苦しいからっていうのもあるけど、これもまた表現としてそうしたかった。

言葉という手段もあるけど、でも今の私の苦痛はそれだけじゃ足りなくて、もっと誰にでも分かりやすく伝えるとなるとなったときに思い浮かんだのがそれでした。


でもやめたのは、筋トレをしていたからでした。

そんなに大きな傷を作ったら、着るウェアが制限されるのはおろか、しばらくトレーニングができなくなるかもしれません。

それでも切れそうな場所をできるだけ必死に考えましたが、大出血するような場所はだいたいダメ。


しかもしばらくトレーニングできないなんて状況は逆にもっとつらいから、それから死のうと思いました。

これも別に勢いで「死んでやる!!!」と思ったのではなくて、そういう表現としてです。

床血だまり大量出血ができないなら、あとは今の状況を家族に教えてあげられるのは死ぬことかなと思っただけです。

(私は父親と良い関係になる気もないので、ハムスター以外の誰にも情はもう無かったです)


仕事でも思い悩んでるし、趣味もうまくいってないし、家庭環境もアレだし、他にも全体的につらいことが降りかかってばかりで、いつも味方で理解者だった最後の砦である母親も決壊。

生き続ける理由は特にありません。






が! が! が!

ここでなぜかカイジの顔が思い浮かびました。

この期に及んでなぜカイジなのか分かりませんが、なんか出てきたんです。

ここまで書いてみても死につながるまで意外と冷静に思考していた私の脳裏に、1人のカイジ


ネタみたいになってきたけど、あの時の私は机に肘をついて顔面を覆って、できるだけ目的を果たせる、すなわち苦しみを的確に表わせる死に方を真剣に考えていました。

しかしこれまでのカイジ(ワン・ポーカー編の4巻まで読んだ)が走馬灯のように思い出されます。

(※ここからカイジ・アカギのネタバレあり)


それから思いました。

彼の生への執着はなんだと。

他人の高級車のエンブレムを折ったことがバレても、バイト仲間の借金の連帯保証人になっても、そのたった30万円の借金のせいで指4本と片耳を切り落としても、地下で重労働を強いられても、7億がかかった勝てるかも分からないパチンコのためにさらなる借金をしてでも、さらには一晩で4億をすっても、それでも生きる。彼は生きる。


生きることの何がそんなに楽しいんだ。

あんなどん底を経験しているのに、何が彼を生かそうとしているのかと。

というか、彼に死なんて選択肢はそう簡単に現れない。

出てくるのは、ギャンブルのときだけ。命を賭けの対象にする、そういうときだけ。


ギャンブルジャンキーとしての信念。

そう、信念。


アカギにもあった。

アカギは最後、安楽死を選んだ。

でもそれは「自分が自分である」という信念のために、それを貫き通すためだった。



私はどうだ。

あんな苦しいとか色々言っていたけど、恐らくもっとその奥深くにあったのは「こんなみっともない状況から脱したい」という、ただの逃げ。

友だちも筋肉もハムスターもいるのに、簡単に逃げようとした。


もし私があそこであのまま死んでいたら、"その程度"だった。

他人の死に対してそんなことは絶対に思わないが、私は自分の死に対してそう評価するだろう。

そんな行為になんの意味があるのだろうか。無駄な死。無意味な死。



ここまで書くのに1時間半くらいかかったが、1度リビングに降りたら母親がいた。

無言で目の前を通り過ぎると「まだ怒っているの? ごめんね」と言って、冗談っぽくハグしてきた。

私は母親の腕を噛むフリをした。

それから2人して笑った。



カイジとアカギに出会っていなかったら、この不器用な謝罪も、いつぶりかも分からない母親からのハグも知ることはなかった。

ついでに筋トレに目覚めていなかったら、あのときの私にとって包丁で自分の肌を裂くなんてことは容易だったから、間違いなく実行していた。

死ぬまではできなくても、これは間違いなく。



まだ私は自分の確固たる信念というものが分からない。

でもあげるとすれば、その簡単な行動を乗り越えて死にまで導いた筋トレだろう。


彼らのように生きよう。

信念のために生き、そして信念のために死ぬ。


(調子が良くなってきたのでオンライン麻雀をしました。3位でした。もう1戦します)