別に無いからどうなるってワケでもないのだけど、理由はあった方がそのものがより濃くなる気がする。
私には明確な生きる理由というものが無かったが、この前の騒動を振り返ると"母親からの承認"がそれに近かったのかなと思う。
しかし他人の判断なんてあまりにももろ過ぎる。
実際、私が生きることを諦めかけたあの2~3時間の間に、その圧倒的原因であった母親の気持ちはコロリと変わった。
向こうにとってはきっとなんてことは無かった。
そんなものを自分の生き死にに絡めるなんて、この先そのままで良いのかと漠然と気になってはいた。
あの後、何人かの友だちが心配のメッセージをくれて、そのおかげでかなり気持ちが楽になった。
前の記事にも書いたけど、やはり友だち・筋肉・ハムスターがこれ以上にないくらい十分な、私にとっての生きる支えだと思った。
理由の方は、たぶんしばらくは母親からの承認かもしれない。
でもそれがまたこの先崩れるようなことがあっても、だから全てが終わったなんてことにはもうならないだろう。
あれから2週間ほどが経つが、それからはあんな衝動に駆られることはなく、かといってすぐに気持ちを切り替えられるでもないからたまにめちゃくちゃ落ちることはあった。
でも自分なりにできる限りで世界を広げ、生きやすいように持っていく。(私が病むときは世界が狭まっているときのため)
ある程度気を取り直し、それから1週間ぶりにカイジの続きを借りに行った。
ワン・ポーカー編の10巻から終わりの16巻まで。
いよいよクライマックス。(※ここからネタバレ)
続きの「24億脱出編」があるから負けはしないと分かっていながらも、その過程の心理戦にハラハラしながら一気に読み終えた。
14巻あたりからは、カイジの本気のぶつかりに3回くらい泣いた。
和也が「眼鏡がないから救いの網が見えなくて目押しできない」というシーンがあったが、私も涙で見えなかった。
あと私も視力が悪いからこういうときにコンタクトが落ちたら…、と思ったら割と他人事ではなかった。
そして16巻の最後の最後、シートからもぞもぞと出てきて「ぷはっ!」と言うカイジの顔を見て、「この人の正しさを証明するために生きたい」という新しい感情を抱いた。
いや、今までも抱いていてそれをうまく言語化することが出来なかっただけか、あるいはただ究極のオタクと化しただけかもしれないが、しかしそんなことを傲慢にも思ってしまった。
カイジの正しさなんて私が証明する必要はない。
それにカイジが同じ次元に生きていたら、そんなことは鬱陶しいと思うかもしれない。
他人の車を傷つけたのは倫理的にどうかと思うけど、でもそれ以外の全てにおけるカイジの言動が私は好きだ。
優しいところ、他人のために泣いたり喜んだりできるところ、信念のために生きそして死ぬことができるところ、本気で生きているところ、恩義を忘れないところ、人をどこまでも理解しようとするところ、諦めないところ、ギャンブルを通して社会人みたいな気付きができるところ、生命力、強運、顔、よく分からない腹筋、いつも着てる服、そのすべてが好きだ。
これはほとんど自己満足だけど、それから私は彼のためにできることを何でもしたいと思った。
これから先の人生、カイジがもしまた一晩で4億をすったりして落ち込むようなことがあっても、違うっ・・・!
今、「鏡となり、そして温かく包み込めるような存在でありたい」って続けようと思ったけど、違うっ・・・!
カイジにそんな安住の地は不要・・・!
むしろ与えてはならない・・・!
それは博打の才がある、ギャンブルジャンキーの彼の芽を踏み潰すような行為っ・・・!(デジャヴ)
が! が! が!
それでもなお、彼の存在を肯定するような生き方をしたい。
我儘であると自覚しながら、探し求めていた"生きる理由"、それを埋めるには十分すぎる根拠・・・圧倒的気付き・・・!
そういえば2ヶ月くらい前に「カイジとアカギに同時に告白されたら迷っちゃう~~~」みたいなことを書いていましたが、その答えは問答無用でカイジです。
ただアカギももちろん好きで、でも彼ぴっぴにしたいっていうよりは一生恋慕や尊敬の念を遠くから抱いていたい。
本当にこんなに好きになると思わなかった。
今となってはあの特徴的な顔面も世界一カッコよく見えるし、カイジがいるからという理由で異性からのお誘いも断るなどしています。
でも正直ちょっとだけ後悔しています。