【動画あり】初めてのバンジージャンプ体験と飛んだ理由
この前、バンジージャンプをした。
「バンジーをやる」と言うと「どうしてそんな怖いことができるの?」「意味分からない」と言った反感の声が多く上がった。
確かにバンジージャンプは危険な行為だ。
そんなものにお金を払ってまでわざわざ体験する気が知れない、というのは確かに分かる。
では、なぜ今回そんなバンジージャンプをやろうと思ったかと言えば、マイルド死線を乗り越えたかったからだ。
あとは生への執着が欲しかった。
2021年、私に最も影響を与えた人物は横川尚隆、と言いたいところだが実は『アカギ 〜闇に降り立った天才〜』に出てきた赤木しげるという男だ。
彼の己を貫き通す生き方、そして死に様に惚れた。
ここで最近の私の話になるが、小さなこと、例えば人から言われたちょっとしたネガティブなことや、自分が犯した些細なミスがやたらと気になるようになった。
いや、もともとそういう性格だったのだが、気が付いたら図々しく大雑把に生きられるようになっていたはずだった。
しかしまたいつかの自分に戻ってしまった。
何がこうさせたのか、そもそもなぜ細かいことを気に留めなくなったのか、と大胆に生きる赤木しげると自分を比較したときに気付いたのだ。
乗り越えてきた死線の数が違う、と。
そうだった。私が成長する過程にはいつもマイルド死線があった。
例えば中学生のとき、車にぶつかられ走馬灯を見た。
ラオスでは、狂犬病の可能性のある犬7匹に道で囲まれたり、13人乗りの飛行機が強風にあおられて体が宙に浮いたり、乗った車が崖側を猛スピードで走りだしたかと思いきや反対からまた猛スピードで走る車が向かってきたりして、その度に私は「あ、死ぬ」と思った。
(車のは本当に死んだと思った。気付いてからすれ違うまでは3秒くらいだったけど、その間「あぁ、ここまで育ててくれてありがとう。飛行機の墜落だったらメッセージを送る猶予もあるのに、そんなものもないまま私はラオスの僻地で死ぬ。家族ありがとう。どうか死体だけは見つかりますように」と思ったのを覚えている)
あとはクロスバイクから吹っ飛んで、前後の記憶を失ったこともある。
そういった経験が、私を確かに強くした。
書類に誤字があったことなんて、野犬7匹に囲まれてしまえばもうどうってことないのだ。
けれどどうだ。最近の私は家とジムの往復で平和安全安心に生きている。
そんなんじゃまた小さいことが気になりだすのも無理はない。
以前のようにそんなものを凌駕する圧倒的な体験が必要、つまりマイルド死線を経験しないといけないとそう思ったのだ。
もう1つの生への執着は、こういった日々を過ごしているからなのか生きることへの貪欲さが減り始めていた。
どう減っているかというと、もし今銀行強盗に遭遇して人質を要求されたら全然私がなると思う程度にしか生きたい願望がないのだ。
こんなんじゃ何をやっていても全力になれない。
たぶん筋トレが無かったら本当に生き続けている意味が分からなかっただろう。
そんな状態が続いてはもったいないので、死からの生還による「生きていてよかった」という実感が欲しかった。
これら2つ、マイルド死線と生への執着を満たせるものは何かと考えたときに浮かんだのがバンジージャンプだった。
血液や体の一部を賭けたギャンブルはできないので。
そして今回行ったのは、秩父ジオグラビティーパークというところだ。
山に囲まれていて、自然豊かで気持ちが良かった。
バンジー台に行くまで、30mほどの吊り橋を渡る必要があると当日に知ったのだがここは意外と怖くなかった。
本当は怖いのかもしれないが、カイジの鉄骨渡りをちょうど前日くらいに観たのでそれと比べたら怖くなかった。
高いところにいる間はどちらかというと全体的に興奮していたのだが、台の先端に立って下を見たときは心臓がヒュンとなった。
高さ53m。(109と同じくらい)
いざ飛ぶ!という状態からくる恐怖からはやく解放されたくて、私は許可が出た瞬間に飛んだ。
最初は無言だったが、その後の最初の跳ね返りのときになんかカラスみたいな声が出た。
最初の飛び降りる瞬間だけ乗り越えればあとは快感しかなく、ただ気持ちが良かった。
そして思った以上にすぐに終わってしまった。
引き上げられる頃には気分爽快。
普通に満喫してしまい、マイルド死線にはならなかったし生きていてよかったという感情もなかったけれど、しかしただただ楽しかった。
こうして私のバンジージャンプ体験は終わった。
本当にすごく楽しかったし、またやりたい。
しかし目標は果たせていないので、次は岐阜にある日本一の高低差215mバンジーに挑戦したいと思う。