森木製菓

果たして社長になれるのか!?

ラオス人の彼氏との出会いを振り返ります③(最終回)

こんばんは!
とにかく眼が痛い森木です。



チャラぴとの出会いシリーズもいよいよ第3弾、最終回に突入しました。

記憶が薄れないうちに、続きを書いていきます。


好きかも編:「初めてのディナーと帰国」

バレンタインのあたりからチャラぴに対する興味が一層湧いてきたので、理由をつけては彼のいるスタジアムに行っていました。(スポーツをやっている人なのです)

しかし何度見ても挙動がやはりチャラいし、方言がキツすぎて何を言っているんだか分からないし、どう頑張っても顔がタイプじゃないのでした。


だからこの段階で、私も好き!という風になることはなかったです。

メッセージでやり取りをしているときは、あれ恋してる…?と思うことが何度かありましたが、いざ会うとなんか違うな…の繰り返しでした。



さらにここで私に大きな変化があったのですが、1ヶ月くらいガチでマッチングアプリをやっていたんですね。

3年付き合っていた彼氏と年末に別れ、なんだか知らないけど誕生日(4月27日です)までに絶対に彼氏をつくりたかったのです。


この時点でだいたい4~5人と毎日メッセージのやり取りをしていたのだけど、簿記の勉強と仕事で忙しすぎるあまり、ある日突然アプリを全て削除してしまいました。

本当にワガママすぎるのですが、突然あーもう全部うるさい!!と思ってやめてしまったのです。


チャラぴへの返信もほとんどしていなくて、そんな廃れモードだったときに同じ職場のスタッフから「チャラぴが一緒にご飯を食べに行きたいんだって」というお誘いが。

勉強をしたい気持ちもあったのですが、せっかくなので私の帰国の前日にそのスタッフと3人でごはんを食べに行くことにしました。



その日はラオス料理を食べたのだけど、チャラぴが想像していたのと違うということに気づきます。

すごい気配りができるというかコップが空になったら水を注ぐとか、お皿に何も無かったら取り分けてくれるとか、周りをきちんと見て動いてる人なんだなぁと思いました。

さらに帰り道では、私の自転車をひいて途中まで送ってくれたりと、優しいんです。


当時の私は心に余裕が無さ過ぎて、そういった細やかなことが一切できていなかったので、なおのこと魅力的に感じました。

それから別れた後に振り返ったときには、歩きながら大げさに伸びをしたり腕を回したりしているところが見えて、その「1ミッションやり終えたぞ!!」みたいな感じが超可愛かったです。



よく「なんでチャラぴのことを好きになったの?」と聞かれるのですが、私が失いたくないのにどうしても失いそうになっている純粋な優しさや素直さ、そして余裕を持ち合わせているところが良いのだと思います。

表現するのが難しいけど、彼の行動はすべてが平行線上にあるんです。

子供とか老人のそれに近い感じがします。



話が少し逸れましたが、そんなこんなであっという間に帰国の日に。

この時点できっと私はチャラぴのことを好きになっていて、自分の国に帰らなければいけないのが惜しくなっていました。



付き合う編:「眠れない簿記試験前日」

22日の朝に東京に着いて、次の日にはもう簿記の試験だったので、私は勉強に打ち込んでいました。

正直90%くらいの完成度でしたが、朝8時くらいには家を出ないといけなかったため、早めにベッドに入ります。


寝る前にチャラぴにメッセンジャーを返して、どういう流れか忘れちゃったけど「森木の彼氏になれた人は幸せだろうな」みたいなことを言われたんですね。

ちょっと告白の空気を感じつつ、「チャラぴの彼女になれる人も幸せだと思うよ!」と返しました。



その後ラオ語で何かが送られてきた(コミュニケーションはラオ語か英語です)ので、アプリで翻訳をしていたところで、すぐに英語が送られてきました。

内容は「僕の彼女になって欲しい」というもの。


私はチャラぴから告白されたこと自体もですが、こんなにきれいな流れの告白を体験できたことに超感動したのを覚えています。

それから「うん!」と返すと「いいの?」と聞かれ、この強気に出ない感じがラオス人っぽいなと思いながら「私もちょうどあなたの彼女になりたいと思っていたの!」と返事をしました。




普通にじわじわと恥ずかしくなってきた。

絶対日本語じゃこんなこと言えないですよ。ヤバい。英語の持つ効力ヤバい。




もうこれ以上は恥ずかしメーターが降り切れてしまうので、この辺にして、こんな感じでチャラぴとお付き合いすることになりました。

この告白の後、向こうが仕事の都合で日本に来たので、そのときに1度会いました。

私はいまも日本にいるので遠距離恋愛になるのですが、毎晩約2時間のテレビ電話をしていて、それが日々の楽しみです。




私のラオ語はきっと2歳児のそれと同じなんだろうけど、そんな語彙力でも内容を頑張って理解しようとしてくれるし、チャラぴもゆっくりと喋ってくれるようになりました。(たまに友だちと喋っているのを聞くと本当に何言ってるのか分からない)

コミュニケーションをもっと円滑にするために、お互いの言語と英語を教え合ったりもしています。




あー。

なんて絵に描いたような幸せなんだろう。


それでもやっぱり文化の違いに驚くことは多々あるので、それもまた後日記事にしていきますね。

そんな感じで、ラオス人の彼氏との出会いでした。

(未だに顔はタイプではないですが、なぜか写真を眺めたりしてしまいます。でも冷静に考えるとやっぱりタイプじゃないです)


第3回までお付き合いしてくださり、ありがとうございました!



以上!!!



ラオス人の彼氏との出会いを振り返ります②

こんばんは!
エビ餃子が好きな森木です。



さて、前回に引き続きラオス人の彼氏との出会いを振り返りたいと思います。


morikicompany.hatenablog.com

↑前回


その前に昨日の電話で初めて知ったのですが、彼は1番最初に日本で会ったときに私の電話番号を聞きたかったそうです。

でも他の私のことを気に入っているラオス人(妻子持ち)から「森木は俺の女だからダメ」と言われて、止められたとのことでした。

なんか周りにいる人みんなヤバいですね。



近付き編:「周りからかためるタイプでした」

出張から戻った私は、翌日もいつも通りに出勤します。

そこで1週間以上ぶりに会ったスタッフたちと話をしたのですが、彼のことが話題があがりました。

「あなたにメッセージを送っても大丈夫かな~って相談されたよ」とか「仕事のことで電話したら、森木はいつ出張から帰って来るんだって聞かれた」とか。


こういう周りからかためるの、ズルくないですか。

私はてっきり色んな人に声をかけているうちの1人、あるいは暇つぶし程度の相手なんだと思っていましたが、こういうことをされるとちょっと本気なのか?と思ってしまいます。

このあたりから、ちょっと彼のことが気になり始めてきました。



距離縮まり編:「すっかり忘れていたバレンタイン」

出張から帰った翌々日に有給をとっていたのですが、特にやることもないので、彼がいる練習場まで行くことにしました。

そう、彼はスポーツ選手でもあるのです。

彼って言い方、なんか嫌だな。Twitterと同じでチャラぴ(チャラ男ぴっぴの略)にします。



でも目当てはチャラぴと言うよりも、単純に自分の帰国が近く、前々から知っている選手たちとお話したかったからでした。

そしてその話がいつの間にかみんなに伝わっており、当日の朝にたまたま会ったスタッフから「男どもがバレンタインだからチョコを渡しに来るんじゃないかってはしゃいでたよ」というのを聞いたのです。

しかし私はそのときまで、その日がバレンタインであることをすっかり忘れていました。



忘れていたので慌ててチョコを買って、練習場へと向かいます。

チャラぴの姿はなかったので「チョコ持ってきたんだけど、いないんだね~」と送ったら「午後に行くから待ってて」と返事が。

そこで私はなぜか律義に待ってしまい、他の選手たちと同じようにチョコを渡しました。


すると、チャラぴがお返しに謎のぬいぐるみをくれたのです。


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その気持ちが非常に嬉しかったのですが、しかしアレなんですよね。

本当に顔が好みじゃないんですよね。


あとこわい。

日本でいうと関西の方に住んでいる人だから、発音が強いし見た目もチャラくてイケイケだし、とても1対1では喋れないなという感じでした。

つまりは全く私のタイプではないのです。


メッセンジャーのときは楽しくていい人、って感じだったのになぁ。

でもその謎のぬいぐるみをもらえたことで、私は前よりもチャラぴともう少し喋ってみたいなと思うようになりました。




(また次回へと続く)


morikicompany.hatenablog.com




ついに警察が家に来ました

こんにちは!
ジェラピケのパジャマが欲しい森木です。(欲しくなっちゃってすみません)




タイトルの通り、とうとう家に警察が来ました。

といってもその時間帯に私は家におらず、二世帯の祖母が対応したので、それを知ったのは母親からの電話でした。


待ち合わせのとき以外は基本連絡をしない森木母からの、しかも仕事中の着信だったので、相当な緊急事態だと思って出てみたらその旨を伝えられたのです。

理由を伝えられるまでは1秒くらいしかありませんでしたが、普段はのんびりしている私の頭は30秒分くらいフル回転しました。

中学生から記憶をさかのぼり、「盗撮ってどこからが盗撮なんだ」という疑問を抱いたところで森木母は言いました。



「前に盗まれた財布が出てきたみたいだよ」





うおおおおおおおおおおおおまじ!?!?!?


そう、私は1年半ほど前にディズニーランドに行く途中の電車で財布をスラれたことがあるのです。


morikicompany.hatenablog.com

↑詳しくはコチラ


あのときの友だちには本当に感謝でした。



そんなもう記憶からうっすらと消え始めていた財布が、ついに見つかったというのです。

慌てて担当の警察署に電話をかけると、泥棒を捕まえたらその人の家から出てきた(どこまで書いて良いか分からないからざっくりと)とのことでした。


正直1年半も他人の、しかも悪い人の家に置いてあった財布は使う気がしませんが、Pontaカードや楽天ポイントカードといった地味に価値のあるカードが戻ってくるのは嬉しい。(全部使われてたりして)

ということで、来週警察署まで取りに行ってきます。



お財布や現金については割とすぐに忘れられたのですが、とにかくその人が捕まりそれ相応のバツが下されることで報われた感じがします。

というのも、私はずっと常に何かに怒り、疑問を感じ、もがきながら生きていたのですが、あの日以来なんだか「まぁ、起こったことはもう仕方がないか」や「そういうものなら、そういうものなんだろう」というどこか諦めのような感情を抱くようになり、目の前の事物にあまり関心を寄せないようになってしまったからです。


何より他人もそんなに信じられなくなったし、今でも電車でちょっとぶつかられただけで毎回カバンをあけて財布が無くなってないかチェックするほど、日々ピリピリするようになってしまいました。

なので犯人が捕まったことにより、そういう私にとっての悪が罰せられることで、何だか少し軽くなれるような気がしたのです。



とにかくそういう意味でも見つかったことが嬉しいし、家まで来て下さるという日本の警察の丁寧さに驚きました。

また取りに行った後にどんな感じだったか書きますね。



以上!!!




ラオス人の彼氏との出会いを振り返ります

こんにちは!
ハンドクリームはアトリックスに落ち着いた森木です。



さて、ラオス人の彼氏ができた」というと色んな方々が興味を持ってくださいます。

「どこで出会った人なのか」とか「なぜ付き合おうと思ったのか」などなど…。

たしかに彼氏が外国人というのはちょっと未知な感じがするし、ましてや相手はラオスです。



それで説明しているときにいつも時系列がよく分からなくなってしまうので、今日は整理の意味もかねて記事にしようと思います。

家で自粛している方々、ちょっとした暇つぶしとして読んでいただければ幸いです!!


出会い編:「あんまり近付きたくなかった」

1番最初に出会ったのは彼が出張で来ていた日本でなのですが、そこでは5秒くらいしか会話をしていないので割愛します。


それから半年ほど経った今年の2月1日に、ラオスで開催されたイベントで再会しました。

私は仕事の関係で、向こうは私と同じ職場のスタッフたちに会いに来たという感じです。


彼は同じ職場ではないのですが、仕事で関わりが何度もあるので共通の知り合いが多いんですよね。

お互いうっすらとは覚えていたので、最初は「あー久しぶりだね」と軽く挨拶。

それから私のところにちょくちょく来ては、「綺麗だね」とか「寂しかったよ」とか言ってきましたが、全部愛想笑いでスルーしました。


仕事が終わって帰ろうとしたときには、「一緒に写真を撮ろう」と言われたのだけど、ラオスではアイドルな私は快く応じます。

普通に隣に並んで撮ろうと思ったら、シャッターボタンを押す前に手を握ってきて本当にこの人ヤバいなと思いました。

別れ際にも投げキッスをしてきて、ちょっと笑ってあげた後に振り返らずに帰ったのを今でも思えています。


それが最初の印象的な出来事だったので、イメージは本当に激悪でした。

もう本当に近付かないでおこうと思いました。


やり取り編:「メッセンジャーを知りたいらしい」

それから2日後に私はド田舎に10日間の出張。

もう忙しくて彼の存在すら忘れていた頃に、一緒に行ったスタッフから「彼がメッセンジャーを知りたいらしいんだけど、教えても良いかな?」と聞かれたんですね。


まぁここで断るのもアレだし、メッセンジャーくらいなら良いかと思って承諾したら、すぐにメッセージが来ます。

一緒にいたスタッフが全員女子だったのもあり、そのときは女子会のノリでふざけながら返信を楽しんでいました。

それにラオスではアイドルな私はよくこういう類のメッセージが来るので、"2,3日もすればほとぼりが冷める"ということも知っていました。




と思ったら、何日経っても毎日メッセージが来る。

このときの私は出張と簿記の勉強とマッチングアプリで超忙しかったので、1日5回くらいしか返信しなかったしだいたいがスタンプだったのですが、ちゃんと毎朝のおはようから送ってくれるんです。


そして前の彼氏が激気まぐれボーイだったのもあり、私はこの安定感に感心してしまいました。

彼女でもない人にここまで丁寧に対応できるものかと。


この出張中に、まじで無理→そんなに無理じゃないかも→まぁ話せるくらいまで彼のレベルが上がった気がします。

それから私は10日間の長い出張を終え、彼のいる首都ビエンチャンに戻るのでした。




(あと2回くらいに分けて書きます)


morikicompany.hatenablog.com




簿記3級に合格していたのでした(あとコロナの話)

こんにちは!
有給をいただいている森木です。




実はずっと簿記3級の勉強をしていて、無事に合格することができました。


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試験は2月23日(日)で、発表は3月13日(金)。

もうそれまでの間、気が気じゃなさすぎて油断をすると簿記のことを考えてしまうほどでした。



というのも今まで秘書検2級、MOS Excel expertなど色々な試験を受けてきましたが、中でも1番キツかったからです。

今回の反省点としては、夏ごろからすごくダラダラと勉強してしまったことで、「まだ全然時間あるじゃん」と余裕をおこきたまわっていたらあっという間に年末。

そこから年末年始の旅行はもちろん、フィリピン滞在中もお腹を壊しながら、そしてラオス出張中も部屋片づけをする暇もなく、帰国準備も半分くらいは当日にやる、みたいな状態になるほど勉強していました。



それで簿記3級は100点満点中70点以上取れれば合格なのですが、私が受けた第154回の合格率は51.7%でした。

40%前後のときもあるから、そう思うと今回はそこまで高くなかったのでしょうか?


ちなみに平均点は65.8点で、森木の得点は81点でした。

学校だったら割と優秀な方ですね!!



あと、今回の試験が2月後半と、ちょうどコロナのことで世間が動き始めた時期だったんですね。

商工会議所のTwitterには「こんな状況でもやるのか」「延期、または返金の措置を取って欲しい」など様々なリプが送られていましたが結局開催。


試験時間が2時間(途中から退室可能になるがそんな早く終わらない)で、しかも大学の教室でやるので正直めちゃくちゃ怖かったけど、もうこれ以上勉強したくないので受けることにしました。

教室に入ってみると、半分くらいしか人がいなかったです。

3人掛けの机の端に2人が座るという感じで、これ全員来ていたら密集しすぎて危なかったのでは?と思いました。


後日、合格発表ページにのっていた受験者数と実受験者数を見てみたら5,000人くらいが来ていなかったので、COVIDのせい!?と思ったけど、毎年そんなものですね。


www.kentei.org




そんな感じで頑張りましたという報告でした。

今まで受けた検定試験は、お金がもったいないからと全て独学でやっていましたが、全部ちゃんと受かっているのが地味にすごいと思うので褒めてください。(おこがましい)


以上!!!



トイレのやり方が正しくない気がしてきた

こんばんは!
休日は毎日昼寝をしてしまう森木です。



皆さん、トイレの手順って間違ってないですか?

いきなりこんな基礎の基礎みたいな疑問を投げかけてしまい、申し訳ございません。

しかし私は自分のトイレのやり方に対して急に自信が無くなってきたのです。



というのも、私は昔から「森木はトイレから出てくるのがはやすぎる」と友達から言われていたんですね。

女子校6年間の時代は、「実は男なんじゃないか」という疑惑を何度もかけられたほどでした。



たしかに、私は自分でも一般的な女子よりもお手洗いを済ませるのがはやいと思います。

だいたい友達を待っていたし、列をなしているときは、どの個室よりも最速で終わるために、次に使うのが自分の後ろに並んでいた人ということはザラです。

今までは、このお手洗いを終えるのがはやすぎ問題に対して、特になんにも感じていなかったどころか、むしろトイレの回転率を上げているよいユーザーだと思っていたほどでした。



しかしある日突然ふと、不安がよぎったのです。

「私ってトイレで何かの手順を忘れているんじゃないだろうか」と。


つまりは、他の女性がお手洗いを使用する際に毎回行っていて、"私だけがやっていない何か"が実はあるのではと急に心配になってきました。

だって、実際分からなくないですか?


お手洗いって唯一見本が自分しかいないんですよ。

小さい頃はそれは親に教えてもらったりしたけれど、でももうここ20年以上は他人のトイレを見ていないわけです。

それなのにどうして自分のやり方が正しいと言えるのでしょうか。



そこで私は恥を捨てて、20年以上ぶりに母親にトイレのやり方を聞きました。

ちなみに私はいつも、ドアを開ける→便座に座る→排泄をする→トイレットペーパーで拭く→流す→手を洗う→トイレを出るという手順で行っています。

25歳にもなってこんなことを聞いたら怒られるのではと思いましたが、案外すんなり教えてくれたし、私が何かを忘れているということはありませんでした。


それから森木母も「みんなトイレに時間かかりすぎじゃない?」と同じことを言っていました。

でも同じことを言っているということは、それすなわち森木母も同じようにトイレのやり方を間違っている疑惑があるということです。


そうですよね。

だって私のトイレのやり方は森木母から教わったんだから、2人とも違う可能性だってありますよね。

でもとりあえずそうして母親も50年以上生きているんだから大丈夫だということが分かり、安心しました。



ちなみにお手洗いに入ってから終えるまでの時間をはかってみたら、約25秒でした。


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このときは尿量が多かったのでちょっと時間がかかりましたが、皆さんはどのくらいでしょうか?

あるいは今度会ったときに「森木、これやってないよ」というのがあったら教えてくださいね。



以上!!!



私の大学生活はあまりにも正解すぎた

こんばんは!
辛いものが食べたい森木です。



3週間前にラオス人の彼ぴっぴができてから、幸せいっぱいの毎日を過ごしています。

遠距離ではありますが、おはようからおやすみまでの思いやりのあるメッセージのやり取り、寝る前の2時間のビデオ通話などついつい顔がとろけてしまいそうになることばかり。

そして、こんなに楽しいのであれば「時間がある大学時代にもっと恋愛をしておけば良かったなぁ」とふと思うようになりました。



というのも大学生の私は、映画サークルとお酒に溺れる日々を過ごしていたのです。

そして恋愛とは全く無縁というワケではなかったけど、とてもそういう感じのキャラではありませんでした。


まぁ機会もなかったし、モテるビジュアルでもないし、そうならざるを得なかったのかとずっと思っていたのだけど、昨日の女子会で気付かされたことがあったのです。

それは中高時代の友達に言われた「森木って男の人が絶えないよね」という言葉がキッカケでした。


それを聞くまで全く意識していなかったけど、たしかに言われてみればだいたいなんかありました。

これから盛り上がりそう!という出来事もあったし、告白されたことも数回ありましたが、全部自分から終わらせてまた当たり前のように日々を過ごしていたのです。

そう考えると当時の私は普通にめちゃくちゃ最悪だし、なんで己の手でチャンスを逃してるんだと疑問に思いました。


興味本位でも良いから、誰かと一般的より親しい関係になってみようみたいな気はさらさらなかったのでしょうか。

そう思い始めたら、もしあの時あの人にオッケーを出していたら…とか、もっと真剣に向き合っていたら…とかタラレバが止まりません。

今でこそ恋愛をするのが楽しいと思えているからそんなことを考えてしまうのですが、逆に色恋沙汰よりも魅力的な何かが当時の私にはあったはずなんですよね。



それで大学時代の私が熱中していたことってなんだと思い返してみたら、部室でみんなとやっていたスマブラでした。

恐らく大学2~3年生の頃がピークで、部室に行くためだけに変な時間割の組み方をしていたのを覚えています。


例えば前期は10コマ分の授業を取らないといけないとなったら、4コマ×2日+2コマ×1日(合計3日)とかではなく、あえて2コマ×5日にするみたいな。

部室のためだけに学校に行くのも惜しいから、授業という理由を作っていました。

スマブラは、キャラクターがヨッシーなのにめちゃくちゃ強いというレベルまでやりこんでいました。


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そんなんだからバイトも大学3年生の後半までろくにせず、お金が無くなったら単発バイトをするという生活でした。

バイトをちゃんとするようになったのも、学年があがるにつれ部室に集まる同学年が減ってつまらなくなってきたからで、稼いだお金は週3~4回の飲みと旅行に使っていました。


なので サークルはもちろんのこと、ありがたいことにそれ以外のコミュニティにも様々な友達がいました。

交友関係を広げ過ぎて、ネズミ講に引っかかりまくっていたほどです。



そうやって考えたら、恋愛にほとんど没頭しなかった私のこの大学時代はあまりにも正解すぎるような気がします。

だって、25歳になった今は毎日スマブラをする時間も無ければ、友だちが自然に集まってくる場所もありません。

思い立って浴びるようにお酒を飲んでも支障をきたさない翌日は少ないし、旅行だってそう簡単に行けないし、人脈を広げてもそれを維持できるほどの時間もお金も体力もさほどない。


だからあの時間とパワーにあり余り、大学生ブランドに甘えることのできたあの日々に、私が送っていた大学生活は大学生として完璧でした。

社会人になってから本当に改めて思う。

もちろん帰る家があったからこそ、こんな贅沢な日々をなんの心配もなく過ごせていました。



そしてこれからも「今これが楽しいからあの時もこうすれば良かったのに」「いやでもあの時はあの過ごし方で正解だったなぁ」と思えるような日々を送っていきたいです。

むしろ反対に最近大学時代が恋しくて仕方がない。

今は恋愛も良いと感じるけれど、あのときはそういうんじゃなくて純粋に色んな出来事が輝いていて、全てが素直に心に響いていたな。


なんだか月曜日からはつらつポジティブになりました。

楽しいと思ったことを楽しみましょう。



以上!!!